気功治療・遠隔治療の専門院 外気功療法さいたま院、埼玉県

 

 
 
 
 
 

気功治療日誌 ~ オフタイム2 ~

日々の気功治療の際に感じたことや治療に関係なく思ったことなどを徒然に綴っていきます。
中には「こんなこともあるのか」とビックリされることもあるでしょう。
また、他にはない視点の情報を知っていて良かったと思えることもあるでしょう。
少しでも皆様の共感を覚えるところがあれば幸いです。

 2014年の抱負
 永遠の0
 代ゼミで学んだこと、ヒーリングを教えること
  長州小力
  2014年 年末の雑感
  2015年 年始に思う

2014年の抱負

富士山
 
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は誠にありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。
 
1年という月日が経つのは早いもの・・・、最近は時間の流れが変わって来ている様で時間の経過が早く感じられる人が多い様です。
私は・・・というと1年前というのは随分昔の様に感じます。
自分自身の1年前と比較すると、随分エネルギー的にも、経験も、知識も変わったと実感します。
私はやりたいことが山ほどあり、時間がいくらあっても足りないので時間をとても大切に使っているつもりです。
常に走り続けていないとダメな様で、何もせずボーとすることは性格的にできないのです。
睡眠中も泳ぎ続けているサメの様に、私も常に走り続けている実感があります。
「1年経つのは早いですね」という会話がよくされますが、私個人的には「う~ん、そうかな?」という感想です。
時間の密度が濃いので、1年前は大分昔に感じるのです。
家内はよく「1年はあっという間・・・」と言いますが、私と家内は睡眠時間が1日3時間程も違いますので(私の方が短い)、これは年に換算すると約1ヶ月私の方が起きている時間が長いということになります。
つまり、家内は1年12ヶ月を生きているところ、私は13ヶ月生きている様なものです。
 
というわけで、昨年1年も実に密度が濃い1年だった様に感じます。
やりたいこと、知りたいことがまだまだたくさんあります。
2014年もこんな調子で行くのではないかと思っているところです。
 
気(エネルギー)のことが分かるようになると、世の中・自然界の色々なことが実感として理解できる様になります。
それは、時として世の常識と異なる実相になることがあります。
皆が真贋で悩むところが、即座に本質を理解できることが増えます。
そのような経験を積み重ねると、自分の蓄積し醸造した知識・哲学は独自性を強め、他人との差異を生じます。
それをオープンにしていきたいものの、なかなかペンをとる時間がなくもどかしい日々を送っています。
これも「まだ、早い」と言われている様な気がします。
 
新年・お正月といえば富士山が挙げられます。
富士山は昨年世界遺産にもなりました。
富士山は関東近県の高所からはどこからも見ることができます。
特に夕日が落ちるところの風景は心に染み渡る何とも言えない美しさがあります。
 
富士山は霊峰富士と言われるように、聖地であり、今時の表現をすればパワースポットであります。
なぜ富士山がパワースポットかは神仕組みの事由なのでわかりませんが、確かなのは富士山は霊的に日本の国土を守っているという点です。
日本の国土は幾つかの霊峰の力により守られていますが、その頂点に当たるのが富士山です。
私たち日本人が日々平穏無事に過ごせるのも富士山の霊力のお陰と言えます。
現代人の多くは物質的価値観に毒されているので山というと土の隆起物という見方程度ではないかと思うのですが、一部の山には強力な霊力・神気があり、それによって私たちは守られているのです。
 
また、宮下文書という古文書には先史時代、今から約6000年前、富士山麓に古代王朝「高天原王朝」があったと記されています。
秦(中国)の始皇帝の時代、徐福が幻の蓬莱山にあると言われる不老不死の妙薬を探し出す旅に出ましたが、その旅は富士山を見て「これこそが蓬莱山」と直観し、そこに上陸し旅を終えたと言われています。
その徐福と7代の子孫が編纂したのが宮下文書です。
宮下文書は偽史と言われ、現代の古事記・日本書紀をベースとしてアカデミズムが作り上げた正史では認められていません。
 
富士山の麓に広がる青木ヶ原の樹海は自殺の名所と言われています。
そこはなぜ自殺の名所と言われるかというと方位磁石が狂ってしまうから抜け出せなくなるからと言われています。
方位磁石が狂うというのは気(エネルギー)が高い場所で起きます。
それだけパワーが強いということになりますが、迷い込んだ人が出られなくなる理由はそれだけではない様にも思います。
 
富士山とはこのような聖地でありますので、本当は富士山に観光気分で登るというのはとんでもないことなのです。
大本の創始者で昭和の大宗教家、出口王仁三郎は富士山には畏れ多く登らなかったと言われます。
神界と自由に交信し、神仕組みをこの世に表した大霊人出口王仁三郎が富士山と同じく立ち入らなかった地は日本国内にまだあります。
また「日月神示」にも「富士はヒの山、日の本の山で、汚してならん御山ざから、人民登れんようになるぞ」(地つ巻第三十六帖)と書いてあります。
私も富士山は遠くから拝み奉るのが本来であり、呼ばれない限りは登るつもりはありません。
従って、世界遺産なるものに認定され国内外からその価値が分からない人が多く登り聖地を穢してしまうのは大いに危惧するところです。
 
12月の初旬に富士山を見た時、その力が少し落ちたかと感じられ心配をしましたが、下旬に感じたときにはやはり強いなと思わせるものでした。
富士山のパワーが落ちてしまうと噴火などの大災害につながる可能性もあります。
私たちは日々日本と日本人が平穏無事にいられることに感謝しつつ、富士山に祈りを捧げなければなりません。
そうすることで富士山の力は弥増すことでしょう。
朝の早い時間、富士山に向かい手を合わせ感謝の思い(エネルギー)を送りましょう。
 
最近思うことは人体に病気や症状を劇的に変えるツボがある様に、大地にもレイラインという人体でいう経絡の様な気(エネルギー)の流れがあり、富士山を元気にするツボがあるのではないかと考えています。
 
「日月神示」で有名な中矢伸一先生は「富士は爆発するぞ、日月神示語る今この時」を昨年出版されました。
「日月神示」を降ろされた岡本天明と、「日月神示」を信奉する「ひかり教会」の人々は「日月神示」に書かれている三千世界の大洗濯は富士山の爆発によって始まると固く信じ、それを防ぐためのご神業を全国各地でしてきたと言われています。
「日月神示」の預言はまだ成就していないということなので、まだまだ予断を許さない状況であると思います。
 
2014年の抱負を書くつもりがなぜか富士山のことばかりを書いてしまいました。
現在世界的な異常気象と共に火山活動も活発化してきていますので、それと関係があるかもしれません。
 
2014年は仕事に修行に指導にこれまで以上に精進していきます。
また、世界平和のためのご祈願をより一層勤めていきます。
皆様もどうか健康にはお気をつけて良い一年をお過ごし下さい。
 
【2014年1月1日】

永遠の0

「永遠の0」が今興行成績がよく話題になっています。
岡田准一さんが主演で、太平洋戦争末期の特攻隊がテーマの映画です。
この映画は前々から観たいと思っていて、サザンの歌が流れる予告編を見ただけでもう涙腺が緩くなっていました。
実際、映画の冒頭のシーンで岡田准一さん演じる宮部久蔵が空母に突撃せんと海面すれすれを飛行しているシーンを観ただけでもう涙ブワッっていう感じで、最初から泣いていました。
あんまり鼻水が出るので途中退座してお手洗いに立った位で、私にとって涙が滂沱で胸が爆発しそうになるシーンがたくさんありました。
 
それにしても宮部久蔵を演じた岡田准一さんはいい俳優ですね。
私は彼がV6というアイドルグループに属していることを知りませんでした。
彼は実にいい目をしています。
この役にはまり役でしたね、本当にいい俳優です。
 
 
歴史に詳しくない人は特攻隊がどのようなものであったか知らないと思います。
故国のため、愛する家族のために自らの命を捨てて敵空母に突撃していった若者のことを思うとこうして原稿を書いていても涙が溢れそうです。
戦争を賛美している訳ではなく、絶対的に物量が不足して戦力に歴然とした差がある状況下で日本と家族を守るために命を捨てる覚悟をし、爽やかに死んでいった若者の生き方がとても尊いと思うのです。
 
私はどうしてこうも特攻隊のことを思うと涙が出るのだろうかと思います。
友人が「前世は特攻で死んだんじゃないの?」と冗談ぽく言っていましたが、日本への強い愛国心・強度の飛行機嫌い・幼児の頃よく高いところから落ちていく夢を見ていたこと・・・からあながち間違ってもいないのかなとも思います。
また私は人の為に死ぬことが最も功徳を積むことと固く信じていて、そのような生き方をしたいと思っています。
 
鹿児島の知覧には特攻隊の資料館があります。
プロ野球の監督を務めた野村克也氏は「あそこは若い人は是非行って見た方がいい」と強く勧めていました。
私が校長先生だったら修学旅行は鹿児島に行くでしょうね。
特攻のことは「終戦記念日」の項でも書いていますのでよろしかったら読んでみて下さい。
 
 
特攻隊で亡くなった若い兵士のことを思えば、いかに今の世の中が恵まれているかわかりますし、のうのうと生きてはいられないという気持ちになります。
また、腐敗した社会や政治を思うにつれ「貴方達が命を犠牲にして残してくれた日本がこのままでいいのだろうか」と申し訳ない気持ちと怒りも湧いてきます。
私たち日本人が太平洋戦争で何を経験したのか、それを知る意味でこの映画を観ることをお勧めします。
 
2014年1月17日

代ゼミで学んだこと、ヒーリングを教えること

中村稔

今年の夏は何か自分の環境が自分を残して流されて行ってしまい、時代が変わったと思わせる夏でした。
具体的に言えば、親しい人が亡くなったり、お会いした何人かの知人・友人の容姿がすっかり変わっていたり(老けこんでいたり、成長して大きくなっていたり)、また一つの心の故郷と言える思い出がなくなったりと、自分は変わらずここにいるのに周りが変わっていくという様な寂寥感を感じたことが多かった様に思います。
 
実際は私自身も年をとり一層おじさんになっていて、周囲の環境と同じく変わっていっているのだとは思いますが、自分はいつまでも若くあり続けるのだと自惚れているので、そういうことは認めたくないのでしょう。
 
社会的なことで言えば代ゼミが予備校事業を大幅に縮小するというニュースが世間を賑わせています。
27校ある校舎の内、20校を閉鎖、しかも模擬試験まで廃止ということですからビックリしてしまいました。
私は20年以上前に代ゼミにとてもお世話になったものです。
その頃約40万人もいた浪人生は今は5万人程しかいないのですね。
少子化という時代の変化が背景にありますが、予備校や大学受験というものがこれから益々変わっていく様に思えてなりません。
 
私の時代は予備校は文化とも言えるものであり、青春の1ページでもありました。
予備校と言えば、高校→予備校→大学という様に高校と大学の間にある教育機関として存在していた位の社会的な存在感があり、実際に高校の同級生の多くは浪人していました。
私は代ゼミの授業を少し受けていたので、駿台・河合塾はわかりませんが代ゼミにはとりわけ思い入れがあります。
タレントの様な超人気を誇る売れっ子講師が代ゼミの売りで、私立文系の私は中村稔先生(英語)・田村秀行先生(現代文)・酒井敏行先生(現代文)に特にお世話になりました。
400人?も入る体育館の様な大教室が生徒で一杯になっており異様な熱気がありました。
特に英語の中村稔先生は和製ミックジャガーと言われる強烈な個性と根性主義と無茶ぶりで、成績はあまり伸びませんでしたが元気を貰えるので大好きでした。
先生の毎回の授業は超ハイテンション、辞書演習(辞書学習)と言って英和辞典がまるごと単語帳代わりで、おそらく日本一と思わせる程下手な発音(外人は誰も理解できない)で怒涛の如く辞書を読み上げていくもので・・・俺はやっているぞっ!という気分にはなりますが、私は全然成績向上にはつながりませんでした。(しかもやたら教材が難しい)
黒板に板書するものの、熱く語りながら何かバンバンやっていてチョークは粉砕、黒板にはぐちゃぐちゃとしたとかとか抽象的な図形や線がやたら多く何を書いているのかさっぱりわからない。
中村稔先生は小さい身体に鉛のおもりを幾つも巻いて身体を鍛えていたり、ジャイアンの闇鍋かと思わせる程吐き気を催すスタミナドリンクの作り方(色々なものを何でも入れちゃう)を伝授してくれたり・・・よく体力は大事だと教えてくれました。
最前列の生徒に向かって「キミは今夜も もちろん徹夜か!!!」「皆さん!今夜も、て・つ・や。やって下さい。」と言ってやたら徹夜を勧めたり(徹夜は無駄であるとわかりました)、今でも時々あのダミ声の講義の様子を思い出し自分を奮い立たせることがあります。
中村稔 辞書
本当に面白い授業だったし、熱い時代でした・・・
しかし、私がお世話になった先生の大半はもう引退され代ゼミにはいない様で(鬼籍に入っている先生もいる様です)、これも隔世の感があります。
 
詰め込み式の大学受験というのは益よりも害になることの方が多いと思いますし、また学歴が高い人が社会で成功している訳でもなく、また幸せになっている訳でもありません。
まだ自覚に乏しい小中学生が受験指導塾で知識を詰め込まされているのを見ると心が痛みます。
私は子供たちには24時間そのことを思っていても苦痛でない君達が大好きなことを探そうよ!色んなこと経験しようよ!と心から言いたい。
そしてそれを自分の仕事にできる様つなげていってほしいです。
自分の好きなことを仕事にできる人は本当に少ないし、自分の好きなことを仕事にできるだけでも凄く幸せなことと思います。
今回の代ゼミの事業縮小が学歴社会衰退に拍車をかけてくれたらと思います。
 
詰め込み式教育が行き過ぎた頭でっかちの人は頭が固いし、見えないもの・感覚的なものに対する理解が苦手な感じがあり、スピリチュアルな分野には相性が良くない感じがあります。
日月神示」でも「学の鼻高さん、何も出来んことになるぞ」とか「学問の世は済みたから学者は閉口するぞ」(空の巻)と書かれています。
 
無意味なことが多い受験勉強ですが、それでも目標達成のためには頭脳を限界のそのまた限界まで働かせなければなりませんし、集中力・精神力も相当鍛えられます。
受験勉強で勉強する内容は無意味ですけれども、勉強方法・学び方、目標達成へのプロセスを身に付けることができるものと思います。
それは社会に出ていかなる仕事に就いても自分自身を向上させる上で必要なことです。
 
かくいう私は地頭が悪く、要領を得ないので、受験勉強は大変苦労をしました。
頭が良くないので、軽自動車でパリダカのレースを走っている様なものでした。
私は自分の第一志望校に運よく入ることができましたが、それを目標設定した時は代ゼミの偏差値で39だったか、41だったかと記憶しています。
物笑いの種にしかならない程の成績で、高校も2年次から3年次に進級する時には成績が良くないので進級させるかどうか会議にかけられたものでした。
代々木ゼミナールに通っていた時も、ずっと「佐々木ゼミナール」だとばかり思い、何で「ヨゼミ」って言うのかわかっていませんでした。(お前はのび太か!っていうレベルです)
 
そんなポンコツの軽自動車の様な脳みそでもやり方次第で第一志望校に入れるのですからわからないものです。
私はスタート時にはその様なひどい有様でしたが、浪人生の頃は全国模試で成績上位者の常連でスーパー受験生のレベルまで成績が上がっていました。
 
しかし、だからと言って頭が良いということにはならないのです。
受験勉強は一種のゲームであり、王道ともいえるノウハウ・コツというものがあるのです。
コツを知っているか知らないかで天地の違いが出ます。
私はそのコツを末弟に教え、彼は大して勉強もせずに現役で早稲田大学に合格してしまい、大学入学後自分はそんなに勉強していないのにここにいて良いのだろうかとずっと罪の意識に苛まれていました。(本当です)
私は大学生の頃そのコツを持って大学受験生を塾で指導するアルバイトをしていましたが、毎回新幹線通勤で交通費まで出る上、かなり良い時給も頂いていました。 

それから思うのは、先生選びというのは実に大切であるということです。
高校では授業を聞いてもパッパラパーだった(高校に進学した時点でもうついていけなかった※高校は特に進学校ではありません)のに、代ゼミの看板講師の授業は目からウロコの様にわかりやすいかったし、成績もグングン伸びていきました。
やっぱり一流の先生は凄いものだと思ったものです。(先述の中村稔先生は面白かったがそれ程伸びなかった・・・でも、夢を実現させるためにやらなければならないことに対する高いテンション、気迫、集中力などは学べました。実際社会に出て役立つのは知識よりもこちらです。)
一流の先生につく、これはどの分野であろうと非常に重要なことと思うのです。
 
私は特に霊感もなかったし、ヒーリング(気功治療)の才能に溢れているとは思いませんが、それでも治療院をはしごしている様な病気の方を相手にそれなりに結果を出し感謝して頂けているのは、私を導いてくれている師匠のお陰と心底思います。
またヒーリングの世界において一流の人物と会うために、師匠と共にインドのヒマラヤに行ったり、バリ島で修行をしたりしているのです。
このヒーリング(気功治療)という分野は特に対面で直接伝授を受けるということが能力の進化につながります。
本だけから学ぶというのは成長が非常に遅く限界があります。
 
現在、私は施術(ヒーリング)の傍ら、ヒーリングを学びたい人の個別指導をしています。
 
 
最初から簡単に出来てしまう才能豊かな優秀な教師はできない人の気持ちがわかりません。
私は才能に恵まれないだけに、できない人の気持ちを汲み取ることができるものと思いますし、また目の前の壁を乗り越えるのに何が必要かを教えることができると思っています。
 
そうしたことも振り返ってみると受験生の頃代ゼミなどで苦労した経験が役に立っているのかもしれません。
 
【2014年8月31日】

 

長州小力

ある夏の日の午後のことでした。
私は飛行機で旅立つため、羽田空港のお手洗いで用を足していました。
用を足しながら、「フゥ~、そういえば長州小力っていたっけな・・・」と理由もなく思いました。
 
用が終り、お手洗いから出て、お手洗いの隣にあった蕎麦屋をなにげなく見ると、そこにはお笑い芸人の長州小力さんがいました!!
しかもお互い目があって、「エ~、マジか~!!」と思いました。
今、トイレで氏のことを思ったばかりだったのにそこにいるじゃないか!!!
長州小力
「キレてないっすよ」
「おぉ、スゲ~」と少々興奮気味で搭乗口まで約200m位歩いていきました。
不思議なこともあるもんだなとゲート前の席に腰を下ろし本を読んでいました。
しばらくすると、隣席に誰かが座った感じがあってふと左を見ると、ナ・ナント!長州小力さんが座っていました。
「エッ、何だ、またかぁぁぁ!!」
蕎麦屋で目があったのも奇跡(どうでもいい奇跡)ですが、今自分の隣に長州小力さんが座っているのも奇跡です。
目があった場所から大分歩いて来たのに、自分の隣に座っているなんて!!
 
「何かのご縁かな?声をかけた方が良いのかな??」「サインをもらうべきか?」なんて考えながらも、そういうの柄じゃないしと止めておきました。
今ここで起こっていること、つまりなぜ私が今長州小力さんと隣合わせで座っているかについて自分なりに整理をしていました。
氏には申し訳ございませんが、私は別に気になっていたのでもファンでもありません。
ただ、用を足している時ふと「そういえばいたなぁ~」(過去形ですみません、余りテレビを見ないので。)と思考が出てきただけです。
その後に本人と遭遇したというのは、私がどこかで氏のことをどこかで見ていてそれが無意識にインプットされて後にそれが用を足している時に出てきたか、それとも私が思ったことが現実化したかのどちらかしかありません。
 
無になる、深い瞑想状態になった時に思うことというのは実現化しやすいということがあります。
無になれば本源の力が湧いてきて病気すら治ってしまいます。
 
 
私は用を足しているときに無になって、ふと思ったことが現実化したのだろうと思います。
私たちはこの地球という世界に生まれ、自分の周りに起こる現象が偶発的に起こっているものと考えていますが、実際はそうではなく私たち一人ひとりが現実を創り出しています。
悟りを啓いた聖者は皆その様に言います。
聖者は普段起きて活動している状態でも覚醒状態というか無に近い状態なので、普通の人よりも思うことがすぐに現実になります。
私たちは地球・国家・社会の構成員でありながら、また創造者(クリエーター)でもあるのです。
それを別の表現でよく「引き寄せの法則」と言います。
現実を引き寄せているのも、創造しているのも捉え方が少し違うだけでベースは同じなのではないかと思います。
 
クリエーターと言えば神のことですが、私たち自身の魂の内奥には神の分魂が宿っています。
しかしそれはカルマなどのネガティブなエネルギーに厚く覆われ中々表に表れることはありません。
それは大雨の日の雨雲に隠れてしまっている太陽にも似ています。
瞑想をしたりして意識のレベルが上がってくると、その様なことが肚で分かってきますが日常に忙殺されて生きていると生きている間気付くことはありません。
 
さて、ではなぜ私は長州小力さんのことを思ってしまったのでしょうか?
私はその時自問自答をしながら、隣で暑そうに扇子をパタパタしている小太りな男性を見ていました。(※空港内なのでそんなに暑くない)
その答えはその時もわかりませんでしたし、今もわかりません。
どうせ思うなら滝川クリステルさんの方がずっと良かったのに、なぜ長州小力さんだったのでしょうか?
滝川クリステルさんなら、そんなにフ~フ~言って汗もかいていないと思うし、きっと良い香りがしていてもっと幸せな気分になったことでしょう。
 
私は常日頃自分自身に起こることをなぜだろうかと客観的に分析するのですが、まぁ結局は滝川クリステルさんでなかったというのはまだ自分自身カルマが多いからなのだろうという結論になってしまい、「あぁ自分はまだまだ」と自戒してしまうのでした。
長州小力
※この原稿を書き終えて画像を探すため「長州小力」と検索すると長州小力の現在…糖尿病合併症で余命僅か、腎臓透析目前…原因は不摂生な食生活かと出てきました。読み終えて「だから会ったのか」と思い、あの時声をかけておくべきだったかと悔やまれました。やはり意味があったのですね。
 
2014年9月15日

 

2014年 年末の雑感

2014年の仕事納めとなりました。
今年を振り返ると山あり谷ありの一年だった様に思います。
12月の終盤は施術が大変なお客様が多く集中し、やっていけるだろうかと心配になる位で、あたかも難行に向かう前の気持ちとはこの様なものかと思いましたが、気合を高め満身創痍で激務をこなしました。

今年は良い男性のお客様とのご縁に恵まれたと感じています。
当院は女性が約7割を占めますが、男性でも意識の高い方とお会いできたと嬉しく思っています。
男性・女性を問わず意識の高い方々との交際は、対面していても良い波動が心地よく伝わってきて同じ場を共有できていることに感謝の気持ちが湧いてきます。

また、今年一年は自分自身の修行の成長が大きくあった様にも思っています。
霊性修行は自分自身の歩みであり、人様との競争ではありませんので基本的にマイペースで進めば良いものと思います。
自分自身の過去と現在を比較してみて、お陰があったかと感謝をしているところです。

本当にこのところはすべてのことがありがたく、万物に感謝の思いが尽きません。
別に美味しいものを食べた訳でもなく、高級品を手に入れた訳でもありませんが、只々今あることに感謝の気持ちが湧いてきます。
不足に意識を向ければいつまで経っても満足を得ませんが、今あること、それが当たり前ではなく大きな恩恵である と感じますので、小さなことにも感謝の気持ちが出て来て以前よりも「ありがとう」と心から思える様になりました。

同時に些細なことにも感涙する様になり、時々一人でホロホロしています。
今日なども移動している時に突然大東亜戦争時の中川州男大佐とパラオ守備隊の人達の心境を想像したら涙が溢れてきました。
家族と別れ、自分自身を犠牲にし、平和のための礎になるために島に残っている兵士達の気持ちを考えたら、日本人は凄い民族だなと感動し、同じ血が流れていることに熱くなりました。

少し長いですが、そのエピソードをご紹介しますのでご覧下さい。


 

昭和16(1941)年12月、大東亜戦争が始まりました。

日本はこの年の翌年早々にはパラオ南部のペリリュー島に、1,200メートルの滑走路2本を持つ飛行場を完成させました。パラオは、開戦した日本にとって、グアムやサイパンの後方支援基地として、また日本の防衛圏上の、重要な拠点となったのです。

ちなみに以前、「大東亜戦争で日本が負けたのは、海軍が広大な太平洋に戦力を分散して展開したためであり、東南アジアに海軍力を集中していたら日本は負けなかった。つまり戦争に負けたのは海軍の”せい”だ」と言っている人がいました。

なるほど、戦力というのは、分散するより集中した方が得策なのは事実で、一見もっともらしい議論ですが、これは大きな間違いです。日本本土を守るためには、戦場は日本から遠いほど良いからです。日本が太平洋側に広く防衛ラインを広げていたからこそ、戦争の中期まで日本本土が空爆されずに済んだのです。もし、最初から防衛ラインが日本側に寄っていれば、日本本土は開戦早々から空襲や艦砲射撃の危険に晒されています。

だからこそ、パラオをはじめとした南洋諸島や、アッツ島などにまで、日本は陸軍や海軍を派遣し、防衛に勤めていたのです。いいかえれば、日本にとって防衛上の重要拠点であるということは、敵対する米軍にとっては、脅威です。

昭和18(1943)年、米軍は、アメリカ太平洋艦隊司令長官、連合軍中部太平洋方面の陸海空3軍の最高司令官であるチェスター・ニミッツ提督の指揮下、このパラオ・ペリリュー島の攻略作戦を計画しました。

当時、ペリリュー島には、899名の島民がいました。米軍は、刻一刻と迫ってきました。島民たちは、白人統治の時代を知っています。そして日本統治の時代も、身をもって経験しています。

パラオの人々は、これはパラオ本島でも同じですが、重要な意思決定をするときには、村ごとに男は男だけの建物、女は女だけの屋敷に、全員がこもり、そこで会議をします。そしてひとりの反対もなく、全員の意見が一致するまで、何日でもそこに寝泊まりしながら、議論を重ねます。

米軍が攻めて来る。この情報がもたらされたときも、そうでした。ペリュリューでは、全島民が屋敷にこもり、自分たちがどのようにするかを会議しました。どんな些細なことでも、全員一致で何事かを決めるときには、たいてい1週間から10日かかります。けれど、このときの会議は、わずか数時間で、ペリュリューの島民全員の意見がまとまりました。

それは「自分たちは、日本とともに戦おう!」というものでした。日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌っていた島民たちは、島民を「人」として扱ってくれる日本軍を、すでに心から尊敬していたのです。東日本大震災に現れた自衛隊、「帰らないでくれ」とデモまで起きた中東サマワの自衛隊と同じです。

彼らの全会一致は、「全員で団結して日本人と一緒に米軍と戦おう」というものでした。そう決めた彼らは、代表数人で日本軍の守備隊長のもとに向かいました。

当時のペリュリューの守備隊長は、中川州男(なかがわくにお)陸軍大佐(死後特進して中将、以下中将で統一して書きます)です。中川中将は、熊本の玉高の出身で、陸軍士官学校の第30期生で、日頃からもの静かで、笑顔の素敵なやさしい隊長でした。その中川中将がパラオ、ペリュリュー島に赴任したのは、昭和18(1943)年6月のことです。

米軍が圧倒的火力をもってペリュリューを攻めて来る。その守備隊責任者としての赴任です。家を出る時、奥さんから「今度はどちらの任地に行かれるのですか?」と聞かれた中川中将は、にっこり笑って「永劫演習さ」とだけ答えています。

「永劫演習」というのは、生きて帰らないという意味です。たとえ見事、敵の攻撃を防ぎきったとしても、多くの味方の兵が死ぬことになる。その責任者として任地に赴く中将の心には、たとえ勝っても、生きては帰らないという決意が込められていたのです。

温厚で、日頃からやさしいく尊敬する隊長さんです。そしてそういう中川隊長なら、パラオの島民たちが、自分たちの頼み・・・一緒に戦うこと・・・をきっと喜んで受け入れてくれるに違いない。だって、ただでさえ、日本の兵隊さんたちは兵力が足りないのだから。ペリュリューの村人たちは、そう思い、中川中将のもとを尋ねました。そして中川中将に、「わたしたちも一緒に、戦わせてください!」と強く申し出ました。「村人全員が集まって、決めたんです。これは村人たち全員の総意です!」

中川隊長は、真剣に訴える彼らひとりひとりの眼を、じっと見つめながら黙って聞いておられたそうです。一同の話が終わり、沈黙が訪れました。しばしの沈黙のあと、中川隊長は、突然、驚くような大声をあげました。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」


烈迫の気合です。村の代表たちは、瞬間、何を言われたかわからなかったそうです。そして耳を疑いました。「俺たちのことを土人と言った? 俺たちは仲間じゃなかったの? 差別していたの? 軽蔑していたの?」そのときは、ただ茫然としてしまいした。

指揮所を出てからの帰り道、彼らは泣いたそうです。断られたからではありません。土人と呼ばれたことがショックでした。怒りではありません。あんなに仲良くしていたのに、という悲しみの方が大きかったのです。日頃から、日本人は、自分たちのことを、仲間だと言ってくれていたのに、同じ人間だ、同じ人だ、俺たちは対等だと言ってくれていたのに。それが「土人?」信じていたのに。それはみせかけ?集会所で待っている村人たちに報告しました。みんな「日本人に裏切られた」という思いでした。ただただ悲しくて、悔しくて。みんな泣いてしまいました。

何日がが経ちました。いよいよ日本軍が用意した船で、島民たちがパラオ本島に向かって島を去る日がやってきました。港には、日本の兵隊さんは、誰ひとり見送りに来ません。島民たちは、悄然として船に乗り込みました。島を去ることよりも、仲間と思っていた日本人に裏切られたという思いが、ただただ悲しかったそうです。

汽笛が鳴りました。船がゆっくりと、岸辺を離れはじめました。

次の瞬間です。島からものすごくたくさんの「おおおおおおおおおおお」という声があがりました。
島に残る日本兵全員が、ジャングルの中から、浜に走り出てきたのです。そして、日に焼けた真っ黒になって、ヒゲがボウボウに生えた顔から白い歯を出し、満面の笑顔で、ちぎれるほどに手を振って彼らを見送ってくれたのです。

そのとき、船上にあった島民たちには、はっきりとわかりました。日本の軍人さん達は、我々村人を戦火に巻き込んではいけないと考えたのだ、と。そのために、心を鬼にして、あえて「土人」という言葉を使ったのだと。

岸辺で手を振る日本の兵隊さんたちの様子に、船にいる島民全員の目から、涙があふれました。そして、岸辺に見える日本兵に向かって、島の人たちは、なにか、自分でもわからない声をあげながら、涙でかすむ目を必死にあけて、ちぎれるほど手を振りました。彼らは、日本の兵隊さん、ひとりひとりの、その全員の笑顔を、かすむ目に焼き付けようとしました。誰もが笑っていました。中川隊長の姿もありました。いつものように、やさしそうな笑顔で、他のみんなと一緒になって手を振ってくれていました。

当時を知る人は、その笑顔が、いまも、あれから70年経った今でも、はっきりと目に焼き付いて離れないでいるそうです。

中川州男大佐
中川州男大佐
明治31(1898)年1月23日生まれ
昭和19(1944)年11月24日戦死 享年47才


「ねずさんのひとりごと」より転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2072.html#more
 


中川州男大佐と守備隊は2ヵ月後に米軍の攻撃により全滅しています。
多くの日本人は知りませんが、今でもパラオは大変な親日の国です。

天皇陛下が来年にパラオ島を訪問し慰霊を行う計画であると報道されています。
陛下は先日の80歳の誕生日を前にした記者会見で、「80年間で最も心に残っている出来事は?」という質問に対して、「先の戦争のことです。」と答え、「前途に夢を持っていたたくさんの若者が戦争で命を落としたということは本当に痛ましい限りです。」と悼まれていました。
陛下もパラオで玉砕した多くの英霊を慰めようと思っているに違いありません。

 

さて、感涙という話をもう一つお話しましょう。
ニューヨークヤンキースの黒田投手が広島カープに復帰するニュースが今話題になっていますが、黒田選手からも熱い日本人の心を感じます。
私は別にこれまでファンでも何でもなかったのですが、「ファンとの約束のために、また自分を育ててくれた球団への恩返しのために、世界の超一流球団の看板投手の地位と多額の契約金を放棄して古巣に戻るとは、まったく凄い男だ。」と目頭が熱くなってしまいました。
一般的な人は損得勘定で物事を判断しますが、それよりも愛や自分を求めている人のために決断をすることができる人は真の人物だろうと思います。
黒田選手の日本球界復帰は広島カープファンのみならず、プロ野球ファン全体を巻き込んで大喝采で、多くのファンが「ありがとう」とその感動を表しています。
人から頂く心からの「ありがとう」という気持ちは、どんな娯楽の楽しさも、また多額の金銭も及ばないものと私は思います。

 広島カープ復帰へ!お金じゃない…黒田博樹が見せた男気に感動

感涙という点では、今年は「アナと雪の女王」がブームになりました。
私もご他聞に漏れず「アナ雪」を見に行きました。
しかし・・・日本国6000万人の女性を敵に回す覚悟で言いますが、「アナ雪」は余りに現実感がなくどこに感動するのかさっぱり分からず仕舞いで、私は見終わった後もボヤキっぱなしでした・・・・

今年私の施術を受けて頂いた方々、ホームページを読んで頂いた方々、お世話になった多くの皆様、今年一年ありがとうございました。
私はクリスマスからお正月の浮かれムードとまったりムードが正直好きではなく早く終わってほしいと思っているのですが、皆様が幸せなお正月をお迎えになることを心よりお祈りしております。

【2014年12月30日】

2015年 年始に思う

新年あけましておめでとうございます。
2015年になりました。
新たな年を迎え、今年一年が皆様にとって素晴らしい年となりますことを祈念致します。
 
正月1日・2日は全国的に雪による悪天候で交通事情が乱れ混乱が多かった様です。
私も帰省や修行の道中、道路や交通機関が乱れ大変でした。
 
我が家では実家に兄弟が集まる習慣があり、久しぶりに元気な両親・兄弟の顔を見ますと何はともあれ健康・平穏無事が大事と思えます。
また同時に血のつながりも意識し、先祖から長い年月脈々と受け継がれた血統の有り難さも感じます。
 
正月はどこの寺社も初詣客で賑わっていたものと思います。
本来正月とは年神様をお迎えするお祭りでした。
年神様とは祖霊のことで、各家庭にお祀りしていたため江戸時代までは出歩いたりすることなく家に篭って過ごすのが慣例でした。
ですので、正月の本来の意味としては祖霊をお迎えするということが第一義であり、そのため出歩いたりすることなく家に篭って過ごすのが正しいのです。
今では習慣となった初詣は明治時代から始まっています。
その背景には明治政府が伊勢神宮を頂点とする神社の格付けをし、それを国民に崇めさせたことが挙げられます。
 
元旦の初詣は日頃信仰のない人が一斉に大挙し各々の願いを祈ります。
家内安全や健康などの祈りを捧げる人が多いと思いますが、宝くじの当選や会社での昇進、中には他人・他社を貶める願いとか我欲に満ちたものが多く神様も大変と思います。
自分自身が神であると仮定したら、それを叶えてあげる道理があるのか客観的に考えると良いのではないでしょうか。
元旦の初詣は人々がエゴを表す場なので、相当の良くない念が溢れており私は人で混雑している寺社に初詣に行く気にはなれません。
その様な場に行けば自分も幾らか祓われることでしょうが、一方でまた拾ってしまう悪念もあり何をしに行っているのか本末転倒になります。
初詣に行って気持ちが清々しく爽やかになったと感じられればお陰があるものと思いますが、「何か行ったけど疲れたなぁ」という場合は不要な悪念を貰ってきたものと考えられます。
 
私は例年元旦に初詣に行きませんが、今年はたまたま2日に会った人とのご縁である神社に初詣をしました。
雪深いその神社はイザナギ・イザナミの神をお祀りしており、九州の幣立神宮より由緒ある知る人ぞ知る神社ということでした。
神社の境内には人が誰もおらず、降り積もった雪も踏み荒らされた形跡もなく、境内に流れる水の音が静かに聞こえていました。
私は静かに世界平和を祈り、日頃の感謝の気持ちをお伝えしました。
本殿の裏手に磐座(いわくら)がありました。
いかめしく威厳のある磐座から神様が宿っておられるのが感じとれました。
 
磐座(いわくら)とは、神様が宿っている岩のことで古く神道では神の本体としてお祀りしているものです。
神事において神を岩に降ろし、神を岩に宿らせるのです。
神社によっては、本殿ではなく奥宮に磐座(いわくら)があり、それがご神体であることもあります。
岩ではなく、神社の裏山そのものが神のご神体であることもあります。
磐座(いわくら)に向かい合うと畏れ多くもまた懐かしい思いがし、私は嬉しくなります。

磐座
磐座
 
私は近年年賀状に富士山の写真を使いますが、富士山は霊山であり神が宿る山であります。
幾度かコラムで書いていますが、富士山は穢してはいけない山なのです。
それを世界遺産とか言って、その価値が分からない日本人や外国人が汚してしまっているのを知ると心が痛みます。
 
富士山は本来なら既に噴火していてもおかしくない状況なのですが、一部の人の祈りによってそれは防がれています。
祈りを迷信レベルで捉える人が多いと思いますが、祈りとはパワーであり実効力を持つものです。
それは自然災害や天候も変える程の効力があることもあります。
有名な話では、鎌倉時代の元寇の時に大元帥法(だいげんすいほう)という国家鎮護の祈祷がなされ、それによって起こった暴風雨で北九州北岸に停泊中の元の艦隊が海の藻屑となりました。
大元帥法は大元帥明王に国家安泰・怨敵調伏を祈る真言密教の祈祷法です。
 
遠隔治療で遠方の人の病気が癒えるというのも祈りの力の発現です。
今年もおそらく噴火はないと思いますけれど、地震と富士山の噴火の備えは最低限しておくべきと考えています。
 
富士山が噴火すると東京・千葉・埼玉は火山灰が降り、それによって交通が分断されることが予想されます。
首都圏は雪にも弱いですが、火山灰にも同様に無力です。
食料や生活必需品は一時的にスーパーなどから消える可能性があるのでストックをしておくと良いでしょう。
 
火山灰は火力発電のタービンを無力にしてしまうそうで、そうなると電力供給も不安定になりどの程度かわかりませんが、電気が来ないことも想定しなければならないと思います。
電気がなければ照明・暖房・水道も使えません。
 
水道が使えないとなると困るのはトイレで、用をたしても流す水がなく、便器が悲惨な状態になります。
東日本大震災の時もトイレ事情が最悪だったと言われています。
そのため、数日をしのげるだけの非常用トイレの備えも欠かせません。
 
それと火山灰は只の灰ではなく、細かいガラス状をしているものもあり眼に入ると眼球を傷つけますし、また呼吸で肺に入るのも良くありません。
そのため、ゴーグルと粉塵用マスクも要ります。(通常のマスクではダメな様です)
 
富士山が噴火する時は頂上が噴火するのではなく、宝永の噴火の時の様に裾野の一部が破裂し噴火する可能性が高い様です。
また、富士山の噴火の前には長野県の浅間山が噴火するという説もあり、傾聴に値します。
 
このような天災は大難が小難になることを祈るしかないです。
たまたま偶然ですが、年始に飛行機の窓から地上を眺めていたら神奈川県の芦ノ湖がカルデラ湖であり、芦ノ湖を取り巻くように外輪山が形成されているのに気付きました。
この巨大な円形の隆起が火口だったとしたら相当大きな破滅的な噴火だったに違いありません。
気象庁のデータを見ても箱根山は噴火の動きはないと発表されていますが、地面からガスが噴き出し、山の木々が一面枯れているところがあり噴火の前兆ではないかと先日報道されていました。
 
災害はないことを祈りつつ、最低限の備えをしておくのが賢明と思います。
私も微力ではありますが、日々祈りを続けていくつもりです。
お気持ちがある方は形式にとらわれず、世界平和と天災が起きない様お祈りをしてみてはいかがでしょうか。
小さな一人ひとりの祈りも集結すると大きな力になります。
 
地球環境と人間は別個の様に見えて密接な関係があります。
地球環境だけ荒れていて人間がその影響を受けないということはありません。
事象のレベルは違っても天災と同じ様な現象(症状)が起こります。
天災が起きない様地球の安泰を祈ることは自分自身の無事を祈ることにもつながるのです。
 
【2015年1月5日】

ご愛読いただきありがとうございます。
また、どうぞお訪ねください

 

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