一昨日ご来院のお客様(Hさん)にあることを言われました。
Hさんは教育事業に携わっている方で幼児から高校生までのお子さんと日々接しています。
「先生はなんか気が変わってきましたね。なんだか3・4歳の子供の気と似ています。」と。
私はじき不惑を迎えるおやじです。
そのおやじが3・4歳の子供の気とは、無垢であり、素直であり、天心であるということなのでしょうか。
私はまだまだ自分自身の霊性が少しもできているとは思っていませんのでそのお言葉を頂き意外な思いでした。
「3・4歳の子供は何でも敏感に反応します。こちらが考えていることを言葉ではなく心でわかってしまうのです。ですからごまかしが効きません。」と教えて下さいました。
3・4歳の子供はまだ社会に汚されていない分、心が綺麗で鏡のように相手の気持ちが自分に写ってしまうのだろうと思いました。
私はお客様のお気持ち、特に辛い気持ちや痛みをできるだけ汲み取ろうとしていますが、どうしても別人格なので同じようにすべてはわかりません。
また、余りにも自分を開放しすぎると、邪気に無防備になりすぎてお客様の辛さをすべて自分に引き受けて施術どころではなくなってしまいます。
それでもできるだけお気持ちをわかってあげたいと思っています。
私は難病の方のお役に立てるようもっともっと気の力を高め施術効果を上げていかなければならないと日々自分に言い聞かせています。
そのためには背後の治療神に近づかなければなりません。
振動の重い肉体を持つ人間と、振動の精妙な神霊とは余りにも波動が違います。
そこには大きな波動の違いが壁となって存在します。
そこをいかにして近いものにするか、融和していくかというと、自分を浄化していくしかありません。
浄化には肉体的な浄化と心・精神、魂の浄化があります。
肉体的な浄化は今デトックスという言葉が広まっていますが、身体の不要な毒素を排泄し綺麗にしていくことです。
また、身体に有害なものを摂りいれないというのも大切です。
半断食をしていると気功治療日誌にも書きましたけれど、初めて2ヶ月半で13㎏体重が落ちました。
落ちたのを自慢しているのではありません、私はもう少し体重があった方が見た目も良いのでそうしたいのですが、今の食生活ではここまで落ちてしまったということです。
心・精神、魂の浄化とは見えないところ、エネルギーの浄化です。
心と精神を綺麗にするにはネガティブな事を思わず、とらわれないことが大切です。
私にとっては怒らない、人のせいにしない、奢らないで謙虚な態度を貫く、どんなことでも感謝の気持ちを持ち続けるなど自分をコントロール、節制することが浄化になります。
一方、魂の浄化はマントラ(真言)を唱え瞑想をしていくことです。
私たちが認識可能な顕在意識下にある潜在意識・集合意識のレベルに蓄積されている無形のネガティブなカルマをマントラの力で燃やしていく、浄化していくのです。
これはどこまで自分ができているか計数化できませんのでわかりにくいのですが、自分の生活が穏やかで平穏、清浄で温かいものであれば進歩をしていると思って良いのではないかと思います。
そういったところでHさんに頂いたお言葉はとても励みになりました。
Hさんは気など見えない感覚に優れたところがあるのでそうお感じになったのだと思いますが、私の周りにもHさんのように人の本質を見抜く力を持っている人がいます。
私はその人達に好かれていれば、神様にもきっと好かれるのだろうと思っており、特にその人達との関係を大切にしています。
その一人がTちゃんです。
Tちゃんは6歳ですが生まれつき重い発達障害を持っていますので未だ意味のある言葉を発することはできませんし、一人で立つこともできません。
言葉をかけても殆ど反応しません、ボーと宙を眺めているように見えます。
では、反応がないから「この子はわかんないのだ」と思って良いかというと、またそれは違うと思うのです。
私の直観ではTちゃんは発達障害で脳の機能が健常でない分、一般の人にない感覚を持っているように感じます。
言葉をかけても返してくることはありませんが、何か心の奥底まですべて見透かされているように思うのです。
Hさんが3・4歳のお子様と接するときに「ごまかしが効かない」と言ったのと同じかそれ以上で、心だけではなく、魂まで丸裸にされているような気がします。
そんなTちゃんだから果たして私のことを気に入ってくれているかどうかもわかりません。
「あー、あー」という言葉の端々に最近少し笑顔が見られるようになりました。
そのようなところを私は感じ取って、「私は今のままで大丈夫なようだ」と自分自身を計っているのです。
また少し前のことになりますが、店舗を移転して初めて入った予約がTちゃんだったので、応援してくれているのかはわかりませんけれど、「あぁ、私はまだ大丈夫らしい」と思ったものです。
もう一人は修行仲間のKさんです。
Kさんは自分自身を「平家の落ち武者」と例える様に、風貌からして少し変わっています。
サティア・サイババにも何回か会ったことがあるそうです。
サイババに会うにはサイババに呼ばれなければ会えないのです。
それだけ魂が綺麗で霊性が高い人だと思います。
サイババだけではなく、Kさんの周りにはなぜか不思議な人が集まります。
Kさんは今まで2人空中を飛べる人と会ったと言っていました。
「へぇ~!?」という感じですが、嘘をつく人ではありませんのでおそらくそうなのでしょう。
私などは一度もお目にかかったことがありません。
宙に浮かぶ人だけではなく、何もないところからものを取り出す物質化を自由自在にする人とか不思議な人が集まります。
当院には「仙台四郎」さんを福の神としてお祀りしていますが、仙台四郎さんの写真を見ると「う~ん、Kさんにそっくりだ」と思ってしまいます。
私はKさんと会うのをとても楽しみにしているのですが、おそらくKさんも楽しみにしてくれているのではないかと思っています。
私の心に奢りや邪心が芽生えたら、Kさんと会うのはできなくなると思います。
Kさんと会って不思議なお話をする機会がある間はまだ私も大丈夫なのだと思います。
最後の一人が仙台四郎さんです。
仙台四郎さんは故人ですからお会いすることはできません。
笑っている写真が当院に飾ってあるだけです。
仙台四郎さんは生前から生き神様です。
生き神様だけあって、相当心が純真で綺麗なのでしょう、写真の笑顔も溢れんばかりの笑顔です。
笑顔の写真だからその表情は変わるはずはないのですが、私が仙台四郎さんにご挨拶をすると実際に笑っていてくれているように思うのです。
生前の仙台四郎さんは人の本質を見抜く力があり、仙台四郎さんがふらっと立ち寄ったお店は大繁盛をしたそうです。
その店の雰囲気か店主の持っている何かを感じたのでしょう。
その一方で、「四郎さん、おいしいものをご馳走しますからうちに来て下さいよ。」とお招きしてもそっぽを向かれ素通りされた店は自然と傾いていったと伝えられています。
私は仙台四郎さんから感じる笑顔の感覚、それがある間は大丈夫なのだと思います。
【2011年9月18日】