気功治療・遠隔治療の専門院 外気功療法さいたま院、埼玉県

 

 
 
 
 
 

気功治療日誌 ~ スピリチュアル ~

日々の気功治療の際に感じたことや治療に関係なく思ったことなどを徒然に綴っていきます。
中には「こんなこともあるのか」とビックリされることもあるでしょう。
また、他にはない視点の情報を知っていて良かったと思えることもあるでしょう。
少しでも皆様の共感を覚えるところがあれば幸いです。

 神々や背後霊を大切にする人ほど治りやすいのも確か
 
「僕は映画の奴隷なんです。」宮崎駿氏(映画監督)に垣間見える霊媒体質
  
力を渇望してはダークサイドに陥るだけ
 
実在の不確かさについて
 
未来は今ここにある
  
先生の手はおじいさんの手
 
松井のホームランはUFOにあたるか

 
神仏との遭遇
 
苦難は愛へ至る道
 
お盆で具合が悪くなる!?
 
私はまだ大丈夫でしょうか?
 
裏の努力
  
1年で最高の吉日 アクシャヤ・トリティヤ
 
人生に迷った時に、天使の声を聞いてみる
 
一家・家系を守る人
 
物事がうまくいかない時は
  Sさんのお不動様
  パワースポットブーム

神々や背後霊を大切にする人ほど治りやすいのも確か 【2008年9月12日】

このようなことを言うと「ええっ、胡散臭い!」と眉をひそめる人がいるのも分かっていますが、本当のことなのであえていいます。

自分の力だけで人生を渡ってきていると己の力を過信し目に見えないものを信じない人よりも、自分をお守り下さる背後の力、または産土神、氏神といった神々への感謝の思いをもっている人の方が病気は治りやすいという傾向を感じています。
 
難病の人ほどその傾向はあります。
 
最近も10年以上煩った自律神経失調症が驚く程短期でほとんど症状を感じなくなるまでになったことがありました。
その方へ気を送っていると、とにかく光がまぶしい。
確かに長い間病に苦しんだけれども、神様はそのお客様を大切に見守っておられると感じました。
その方は産土神(神社)へのお参りを欠かさず、感謝の思いを伝えてきた人です。
 
私の施術院に来て下さるお客様には、そのお客様本人とのご縁、またはその背後霊とのご縁を感じます。
長年病に苦しんだけれども、「そろそろ治ってもいいのだ」と背後霊が判断し、当院にお客様を連れてくることがあるように感じています。
 
人間は五感を通じて世界の認識を持ちますが、五感で把握できる領域はすべての内の1%くらいであろうと霊性の高いスピリチュアルマスターは言っています。
つまり、私達は世界の認識についてほとんど盲目に等しい状態であるのに気付かなければなりません。
 
見えない世界や神々、背後霊などは厳然として存在するものであり、自分が知覚できないからといってそれが存在しないことにはなりません。
私は気功治療家です。
その本質は右脳の開発によって異界との扉が開いているということ。
それによって、多くの人が感じないものを認識することができますから、この仕事に携わってから尚一層目に見えない力を敬うようになりました。

「僕は映画の奴隷なんです。」宮崎駿氏(映画監督)に垣間見える霊媒体質 【2008年9月20日】

映画監督の宮崎駿氏は昔から大好きで「ルパン三世~カリオストロの城」から「崖の上のポニョ」まですべての作品を視ています。
それぞれの作品はアニメーションの動きがまるで本物のように生き生きとして、それに引き寄せられるようでとても美しいものですが、ストーリーも先が読めず、ハリウッドのような派手な演出もないので視た後いつまでも心に感動の余韻が残ります。

宮崎駿監督の名作に「風の谷のナウシカ」があります。
この作品は元々月刊アニメージュで連載していた漫画です。
全7巻ものですが、その内の1~2巻が映画化されました。
映画「風の谷のナウシカ」は大ヒットし多くの人が感動をした作品ですが、実は原作の漫画の方は一風映画とは話も異なります。
ナウシカという主人公の女性のキャラクターも違います。
漫画「風の谷のナウシカ」を映画で大衆受けするように作風を作り変えています。
原作漫画全7巻中の7巻の後半の話は圧巻!で私も何度も読み返して楽しませてもらいました。
この漫画は私が墓場の中までもっていきたい、これまで読んだ漫画の中で最高のものと思っていますが、「風の谷のナウシカ」の漫画を一度読んで理解できる人は極めて少ないと思います。
この話はある程度霊的なものに抵抗がなく、スピリチュアルな世界について体験的にも理解した人でないと何言っているのかさっぱり分からないはずです。
例えば、ナウシカが最後のクライマックス、墓所の主に「いのちは闇の中に瞬く光だ!」と叫んでいたり、人間は神という存在の遺伝子操作の産物であるとか、古代から伝わる秘教のエッセンスや世に隠された真実がさらりと書いてあります。
私は「すごい!そうだ!そうだ!」と頷いてしまうのですが、ほとんどの人は「?」でよく分からないと思います。
なぜ、宮崎駿監督はこのようなこと知っているのでしょうか?
 
舞台設定や話の展開など、はっきり言って人間の空想、想像物とは思えない重厚な内容で、あたかも別次元の実話を基に書いているようにも思えます。
私はそう信じているのです。
宮崎駿監督は漫画家・映画監督ではありますが、そのアイデアの源泉は監督自身の意識にあるものではなく、別次元の意識体にあるのではないだろうかと。
つまり、宮崎駿監督は別次元からのメッセージを受け取るチャネラーだと思うのです。(ご本人がそれを自覚しているかどうかはまた別問題ですが)
 
先日、NHKのプロフェッショナル「仕事の流儀」で宮崎駿監督の特集が組まれました。
宮崎駿監督が手がけた「崖の上のポニョ」は監督自身「これが最後の作品」と言っており、(結構、いつも言っています)、それだけに映画製作という仕事を進める過程をカメラに収め公開するのを許したというのです。
それをみて私は自分の見方が間違っていないことに確信を持ちました。
 
まず宮崎駿監督は霊能があります。
亡くなった友人が病院で家に帰れず茫然自失としているのが分かり、霊体になった友人を車に乗せその友人宅まで送ってあげたという話が出てきました。
「僕の想像でやったんですが・・・」と、それを自分を納得させるための儀式として行った行為であると話していましたが、儀式ではなく実際に見え、聞こえたのだと思います。
宮崎駿監督ともあろう者が、NHKの番組で「友人の霊が病院にいましてね・・・」とは言えないでしょう。
 
もう一点、宮崎駿監督はあちら(別次元)からのメッセージ(インスピレーション)が来ないといつまで経っても作品のストーリーが進まないのです。
一般に作家は自分の作品(アイデア)を自分の脳の産物だと思っていますが、一部の作家はチャネリング的な表現方法をとる人もいます。
宮崎駿監督はこの後者にあたりますが、このタイプの人は作品の展開が自分でも分からないのです。
あらかじめ、話の起承転結、落ちなどストーリーの概略を決める一般の作家と違い、おもむろに話を紙に表現し出し、話が頭に沸いてくるのを紙にたたきつけるようにして展開させていきます。
だから、書きながら「ああ、面白いね、この話・・・」なんて自分で書いたストーリーに感心していたりするのです。
霊能で「自動書記」というものがあり、霊媒は自我を無にするとあの世の霊が霊媒を使って紙に話やメッセージを書かせます。
いわば宮崎駿監督はこの「自動書記」で漫画を書いていると言っても過言ではありません。
 
ポニョの封切りのスケジュールが決まっていて残りあとわずかというのに最後の場面をまったく書けず苦しみもがく宮崎駿監督が番組では印象的に捉えられていました。
結局最後の最後にポニョの最終場面を書くことができたのですが・・・
 
もう一つ、チャネリング的な作家の作品の特徴として「あたる」というのがあります。
霊界の手回しで大いに売れるのです。
私も「崖の上のポニョ」を視ましたが、はっきり言ってこれまでの作品と比べると明らかに肩透かし的な(簡単に表現するとつまんない)のですが、売上はこれまでの監督の作品の中で最高!と無茶苦茶ヒットしています。
このように良いところが良く分からないけど結果が凄いというのは霊界のお助けが出ている証拠です。
 
最後に・・・「プロフェッショナル」では宮崎駿監督が自身をこう表現していました。
「僕は映画の奴隷なのです。」
この言葉にはチャネリング的作家であるというのがうまく表現されていると思います。
この言葉は「僕は映画の(神様の)奴隷なのです。」という意味です。
これはなかなか言えない言葉です。
 
「自分は○○の奴隷だ。」と・・・私はここに「気功治療」という言葉を入れたいのですが、果たしてそこまでできているかどうか・・・
この原稿を書いている今の時刻は、夜の11時15分を回ったところ、まだ店に独りでいます。
施術を遅くまでやってそれからホームページの原稿を朦朧とした頭で書いて、自分なりに頑張ってはいるつもりなので「僕は気功治療の奴隷だ。」と少しは言っても許されるのものか・・・是非そう言えるようになりたいものです。

力を渇望してはダークサイドに陥るだけ

思うところあって掲載を見合わせています。楽しみにしてくれた方、どうもすみません。

実在の不確かさについて

11月28日と29日の夜は前日の大雨が夜空の塵を払ってくれたためか、とりわけ澄み切っていてまるで高原で味わっているかのような満天の星空が広がっていました。

ここのところ、多忙で帰りは終電が多くなっていてこの両日もそうでした。
家の最寄りの駅から自宅までは徒歩で10分近く歩いているのですが、その時に夜空を見上げると一つ一つが宝石のような大小の星が無数に天空を占めているのに気付きました。
 
その夜空はダイヤモンドが散りばめられているかのようで、見上げつつ歩を進めていくと世情の喧噪がとても小さく思え、また反対に自然の偉大さ・雄大さに感動を覚え、これこそが摂理であり神なのだと心に響くものがありました。
 
施術院経営という仕事に従事して忙しいというのは、結果多くの人に施術をさせて頂いている機会があるということですから本当にありがたいものです。
昔、勤め人をしていたとき、その時もとても忙しかったもので夜討ち朝駆けのような毎日で労働時間がとても長くしんどいものでした。
今のこの仕事は「労働」とは思いませんが、いつの間にか多忙を極めていた前職の労働時間を超えてしまっていました。
ホームページの更新も全然できず、中にはこのような内容でも「楽しみにしています。」と言ってくれるお客様がいますので、申し訳ないと思っています。
 
さて・・・
一つ一つの星からはそれぞれの波動が光となって地球に降り注いでいます。
星や月からのエネルギーは肉体のまわりにある波動(オーラ)をクールダウンさせて、清浄に導いてくれるという実感があります。
この頃はちょっと寒くなってきていますが、夜一人で夜空を見上げて自然と一体になる無の境地を満喫するのも心身に良い影響を与えてくれることでしょう。
 
白く瞬く夜空の星達を私達は太古の時代から眺め思いをはせてきました。
産業文明が起こって現代のようになったのはここ200年のことであり、さらにこの50年位はネオンライトの人工の光で星が見えにくくなってしまいましたが、私達は生まれ変わって体験している人生そのそれぞれで同じ星たちと出会っているはずです。
 
星はどこにあるのか、はっきりとは分かりませんが、遠く宇宙の彼方に存在しそこから放つ光が数億年をかけて地球に届きそれを私達が星として認識しています。
実際にあるように見える星達もこの瞬間に確かに存在しているものかというと実際は光が届くのに遙かな時間が流れているため既に存在していないものもたくさんあるはずです。
 
このように、実際に見えているものが本当に存在するかというとそうでないものもあるのでしょう。
星を例にとるとわかりやすいのですが、実際に私達が日々の生活のなかで「ある」ものとして認識しているものの中にも実在しないものもあるのかもしれません。
また逆に、見えないから存在しないという認識をしているものの中にも実在するものが無数にあるのだと思います。
 
私達は意識が存在していると認識できるものだけを「ある」ものとして捉えますが、その認識できる範囲は脳という受信機が捉えられる極めて限定された領域・世界だけにすぎません。
 
幼少の頃から私は目の前にあるものは本当に存在するのだろうか、また、私が見ている世界は他の人も同じように見えているのだろうかという疑問を抱き続けてきました。
 
長年の疑問に対する答えは近年分かってきた部分もありますが、肉体という重い波動をまとっている状態ではなかなか多くは分からないもので、いつか肉体という衣を脱いで自由になった日に分かるものがあるだろうと秘かに期待をしています。
  【2008年11月30日】

未来は今ここにある

頭では分かっていてもなかなか実感できないということが時間は幻であるということです。

時間は幻というと何のことか分からない人はまるで分からないのだと思いますが、時間は自分の思考が生み出しているものであり、実際のところ現実に存在するものではないのです。
 
日々の生活で時計の時間を一日に何回も確認してそれに追われるようにやらなければならないことをこなしているのがほとんど全ての人の生き方です。
 
今年の初めの気功治療日誌で「2009年私の流儀」というものを書きました。
その最後のあたりで時間は思考が生み出しているということを実体験を例に挙げて話してみました。
 
過去というのを認識するのは今という場であり、未来のことを思うのは今という場で、それを認識する視点は常に今なのです。
だから今という場だけが真実であり、過去や未来はそこに同時に存在しているものというのが私の認識です。
 
時間だけではなく、空間も本当は存在していない。
「でも現実にあるのじゃないか。」と言われると確かにあるのですが、それはこの3次元という場に限ってはということであり、私達は寝ている間に違う次元に移行したり(それを夢といいます)、またはドラッグや瞑想という形でこの3次元を抜け出すことが技術的に可能であると言われています。
 
私が毎日行っている遠隔療法も埼玉から日本各地の方を癒しています。
空間・距離が関係ない、距離を超越したものがあるということを経験していますので私には時間も存在していないというのも比較的認識しやすいのかもしれません。
 
今日は瞑想をしていたら深いレベルに入り、どうやら未来の出来事であろう光景にアクセスしました。
それは私がこうしたいと思っているものが見えて、ああこのようにしてなるのだとその光景から改めて知ることができました。
 
これは空想か妄想か、その可能性もなきにしもあらずではありますが、自分の知らないことをそこから知ることができたということ、またその光景が白黒のものではなく、総天然色(カラー)で見えたということから、未来として存在しているものを今見たのだと自分で認識しています。
 
未来というストーリーは幾つもあるのだと思います。
コンピュータゲームのストーリーとしてソフトウェアにプログラムされているかのように、今という場に折りたたまれて存在しているのが未来なのでしょう。
 
その未来は私達が何を選択していくかによって異なるストーリーを展開させるものですから、決定的なものではありません。
 
人生は幾つもの選択の連続で、私が未来を見たと認識した光景はその選択肢の内の一つにすぎません。
 
時間の呪縛から逃れるためにまず何をすれば良いかというと、時間に追われないようにすることだと思います。
または時間の常識から逃れることです。
 
時間の常識から逃れることの一例としては、睡眠時間があります。
例えば8時間寝なければならないとか、6時間寝なければならないとか、人それぞれ自分自身の必要睡眠時間を設定していると思います。
それを満たしていなければ翌日眠くなるのではないかと思ったり、疲れが残っているのではないかと思ったりする傾向は誰しもあるのではないでしょうか。
こういったことを意識しないことが、時間の常識から逃れることです。
 
時間に追われて感情的にイライラしてしまうのも、考えてみれば一人相撲をとっているようなものに思えてしまいます。
 
「自分の年齢が○○才だから△△しなければならない」というのも時間の呪縛に他なりません。
自分の可能性を自分自身で閉ざしてしまうのはもったいないことです。
 
私の場合、常に本当に存在するのは意識であり、思考ではないと反芻(はんすう)する習慣を持つようにしています。
時間を生み出すのは思考であるので、この習慣によって時間からの支配の手を緩めることができます。

【2009年5月22日】

先生の手はおじいさんの手

「王様の耳はロバの耳」という言葉がありますが、この意味は「言ってはいけないけど、こっそり言っちゃうこと」だそうです。

「先生の手はおじいさんの手」は言ってはいけないということではないけれど、他ではめったに聞けない不思議な話をしてみたいと思います。
 
先日、あるお客さん(以下、Aさん)が初老のお父様を紹介して連れてきました。
お父様の施術中、Aさんはベッドの脇で私のやることをみていました。
 
後から、Aさんが神妙な顔で私にこうささやきました。
「先生が施術をしていた時、先生の手首から先の手がしわだらけおじいさんの手に変わっていました・・・」
 
なんと、施術をしていた私の手、特に手首から先がおじいさんの手に変わっていたというのです。
 
 
                        「これ私の手、老人の手じゃないでしょ」

この画像のとおり、私の手はなかなか艶やかな手(?)をしているのですがそれがしわだらけの手に変わって、「びっくりしました。」とAさんは言っていました。
 
私は自分の手がおじいさんの手に変わるのは見えないのでわかりませんが、このことは実際には心霊現象として説明が可能です。
 
私が行う気功治療は自分の内気をフル充電してそれを発するタイプの気功と異なり、高次元の主と同調してそのエネルギーを仲介し発していくタイプの気功です。
 
わかりやすく言うと、自分の意識を少しお留守にして別次元の意識体の力を私の肉体に導くのです。
私の肉体に入る意識体は指導霊とも言えるでしょうし、また別の意識体かもしれません。
 
これまで私は自分の背後に仙人か老人がいることをチャネリングや霊査、または霊が分かるお客様複数から聞いていました。
施術中には、その意識体の治癒力をお客様に導くようにしていますのでその霊的影響で手首から先がおじいさんの手に変わったように見えたのだと思います。
 
それでも手首から先がおじいさんの手に変わるなんて信じられないと思う人もいるかもしれません。
しかし、心霊が働くと手首だけに留まらず顔そのものが別物になることもあるのです。
 
交霊会(降霊会ともいう)という言葉を聞いたことはありますか?
多くの人は聞いたことがないのではないでしょうか。
交霊会とは霊媒(霊能者)が幽界もしくは霊界の霊体を自らの身体に憑依させてその霊とクライアントが対話をする催しのことをいいます。
 
霊と語るなんていうとそれだけで怖いと思うかも知れませんが、霊と言っても例えば亡くなった肉親や身近な人が霊媒の身体に降りてきてくれるので死後の生の存在を確信することができるだけでなく、死別の悲しみを癒すことができ、怖いどころかとても感動的な場なのです。
 
この交霊会の時に霊媒の身体に霊体が入ってくると霊媒の顔が変わって見えることがあります。
この顔が変わるというのは霊媒の表情が変わる程度ではなく、まるっきり別物の顔になるのです。
これは実際に見てみないとにわかに信じられないかもしれませんが、「ある」ことなのです。
 
私にもこれと同じような経験があります。
昔親しくしていた友人Bが、どうもずっと昔に仲良くしていた友人Cに似ているなあと感じていたことがありました。
友人Bはしぐさや、私への接し方、呼び方など実に友人Cに似ていたのです。
「なんかよく似ている人もいるもんだ。」とその当時は考えていました。
 
ある日、友人Bと夜道を歩いていた時のこと、私がふと友人Bの顔を見ると友人Bは友人Cの顔になっていました。
「えー、なんなんだ、こりゃ!!」とわが眼を疑いましたが、どこからどうみても友人Cの顔でした。
 
狐につままれるというのはまさにこんな気分なのだと思います。
 
その時だけではなくその後友人Bは私と会うとき時々友人Cになっていました。
程なく友人Bとは疎遠になってしまいましたが、おそらく友人Cは亡くなっており親しかった私に会いにきていたのだと考えています。
 
友人Bは霊媒体質だったので、友人Cに憑依されていたのでしょう。
 
憑依現象も程度によってこのように顔が変わることもあるのです。
私の手がおじいさんの手になったというのもそれと同じようなことと考えてよいと思います。
 
物質、または固体が突然別物に変化する、これは物理学では説明がしにくいものですが私達が実際に目にしている物質は本当はホログラムのようなものでどこかのスイッチが起動すると別物になるものなのかもしれません。
 
さて、施術で別次元の力が働くとどうなるか。
 
Aさんのお父様は私が軽く肩に手を触れただけで肩の痛みがなくなってしまい、「不思議だー」と感心していました。
 
力が働くか働かないかは受け手のお客様サイドの要素も多分に影響するのでいつも同じような結果が出るわけではありませんが、霊界の力を仲介する施術(これを心霊治療またはスピリチュアル・ヒーリングといいます)は驚愕の結果をもたらすことが往々にしてあります。
 

【2009年6月9日】

松井のホームランはUFOにあたるか

みなさん、こんにちは。
今日は10年ほどに遭遇したUFOの話をしてみます。

10年ほど前、私は9階建てのマンションの9階、東南角部屋に住んでいました。
前には荒川が流れているのが見え、遮るものはなく遥か南の方まで見えました。
遠方に池袋のサンシャイン60がかすかに見えていました。
 
仕事から帰ってくると深夜で家族も既に床に入っていて寝静まっている時間帯、私はそれから風通しが良いベランダで気功(内気功)を始めました。
内気功をすると身体に気が充実してみなぎり気持ちが良くなります。
 
ベランダに出て真っ暗な空に向かって気功をしていますと、遥か南から淡い赤色の光の球状のものがゆらゆらと飛んできました。
5機位だったでしょうか。
「ありゃ、なんだろうな・・・」と思いつつそれ程疑問にも思わず気功を続けていると、その内の1機が私が気功をしているマンションのすぐそばで停まりました。
9階よりは少し高い位置で結構距離が間近です。
 
「あっ、止まったよ!」と思い、一瞬ゾワゾワと鳥肌が全身に立つ思いがしましたがすぐに落ち着き気功を続けました。
人の視線でも見られている感覚ってありますよね。
気功をしていながら「おいおい、これって俺が見られてるんだよ。」と何だか表現しがたい複雑な気分だったのを覚えています。
 
距離的に言うとその時思ったのは「松井がホームランを打ったら当たるかな」と思う程の距離でした。
 
5分位か10分位か定かではありませんが、その内に遠くの高いところに行ってしまいました。
 
別に恐怖感もなく、「あれは一体なんだったんだろうな。」と不思議に思った位で、人に話すこともこれまでありませんでした。
変な言い方ですが、何だか自然で怖いものでも特別なものでもないような気がしたからです。
 
内気功の鍛錬はその後も継続していましたが、その赤い光の物体はその後も何回もやってきました。
気功を始めてしばらくすると南の空からゆらゆらと飛んでくるのです。
そして松井のホームランが当たるかどうかの距離に停まります。
日によって2機停まることもありました。
その2機がくるくると小さな円軌道を回りながらこちらを観察していたこともありました。
 
不思議なのはその赤色の飛行物体がそんなに目立つことをしているのに、階下で誰かが気付き騒いでいるのでもなく、通行人が気付いているようでもなく、どうやら自分だけが見ていたようだったということです。
 
今は夜に戸外で鍛錬はしていませんので、そのような遭遇はなくなりました。
今でも何だったのかよくわかりません。
高い確率でUFOというやつなんでしょう。
 
書いていて思いだしましたが、3年位前の早朝に荒川の土手で内気功の鍛錬をしていた時、遥か上空を銀色の飛行物体が飛んでいて、どんどんどんどん上空に上がってやがて消えていったことがありました。
それは私の方に飛んでくることはなく、「あっ、UFOだ」と思った程度です。
気分的には珍しい鳥をみた時の気分と変わりありません。
 
近年色々な書を読んでわかったことにはUFOは映画やアニメのように宇宙から侵入してくるものではなく、次元間移動物体であるようです。(だからユング〔スイスの心理学者〕がUFOの本を書いているのだ!)
そして乗っている存在はおどろおどろしい怪物のようなエイリアンではなく、人間に極めて近い外見の生き物のようです。
実際に会ったことがありませんからそれ以上はわかりません。
本当は会っているのかもしれませんが、私はそれに気付くことはありません。
 
UFOに遭遇した理由についてこうではないかと思うことがあります。
 
気功をすると意識が変性意識状態になります。
日々の気功治療でも術者の私とお客様の意識が同調し、お客様の意識が飛んでしまうことが毎日何回もあります。
気功治療の特長の一つに気の送り手と受け手の意識が同調することがあります。
術後、お客様は「意識がとんだ」とか「意識がなくなった」とか「身体から意識が離れた」とか・・・不思議そうに嬉しそうに感想を述べられます。
時にはその際に普段目にすることのない存在と遭遇することもあります。
当時、私が内気功をしていた時も意識がトリップしてどこか別の次元に足を踏み入れていたのかもしれません。
それ以上のことはまったく分かりません。
 
私たちの身の回りには未解明のものがまだまだ沢山あり、「そんなことはありえない」と心を閉ざさずオープンにしていると、珍しい体験もでき楽しく生きられるのではないかと思うのです。
【2009年9月4日】

神仏との遭遇

先日、施術中にまた神仏と遭遇した人がいました。
施術中、気を受けていると強い力と光を感じ、その中に仏様がいたそうです。
術後、驚いた表情で「仏様とお会いできました。」と言っていました。
 
「よかったですね。きっと貴女のためにお姿を現してくれたのでしょう。」とお話をしたものです。
 
ちなみにこの方は特に信仰している宗教はありません。
当院ではその人の信仰に関係なく、時々神仏と遭遇するお客様がいます。
 
前には「観音様が階段を降りてきました。」という人もいました。
まぶしい光の中に仏様が現われるパターンが傾向的に多いでしょうか。
 
私の施術はスピリチュアル・ヒーリングといって、自分自身の気を発するものではなく自分自身の背後の存在(高次の存在)とチャンネルを合わせることでその力を仲介しているものです。
お客様の持っている条件によって、どの程度その力が作用するかが変わります。
中にはこのケースのように高次の存在がお姿を見せてくれることもあります。
 
見ると言っても肉眼で見ているわけではありません。
施術中には目を閉じて受けてもらっているからです。
この場合は眉間にある第三の眼(サードアイ)で見ているのです。
実際には肉眼で見ているものではないのにも関わらず、カラフルで眩しい光や像が見える人がいます。
そこまで見えなくても眉間にカラフルなオーロラのような光を見る人もいます。
 
このように気を受けた場合の反応は受け手側の条件によって様々なのですが、神仏と遭遇する人達には共通点があるように感じられます。
普通の主婦の方が多いようですが、特に人のために生きている人、人に奉仕をしている人、そういう傾向があるように感じます。
霊能など何もなくても、自分ができることで他人に奉仕をする、人の役に立つ生き方をしている人が神仏と遭遇しています。
霊能力は人格とは必ずしも関係ありませんから。
また、人物的に謙虚で穏やかである共通点もあるように思います。
 
神々もきっとそのような人を愛し、お姿をお見せになるのだと思います。
ひょっとするとご褒美の意味もあるのかもしれません。
 
自分のことばかり考えていたり、常に自分の立場ばかりを主張していたり、損得勘定でばかりが判断基準であったり・・・このようなエゴが強い人にはこのような恩恵は与れないのだと思います。
 
心の中がエゴ(利己)ではなく、利他の精神になっている人はその意識が神に近づいているのでしょう。
 
こうして神仏と遭遇する人を多く見ていると、神は存在するのかとか、神がどこにいるかという議論に終止符が打たれるように思います。
神仏は私達が存在する次元とは異なる次元から私たちを見守っているようです。
見守っているだけではなく、メッセージを伝えてくれることもあります。
 
とかく目に見えるものだけを「ある」ものとして考えがちですが、目に見えるものだけが存在するすべてではありません。
むしろ私達の世界や人生は見えないものの影響を多大に受けているといっても過言ではありません。
世界の成り立ちや偉大さを知るにつれ、人は傲慢になることはできず謙虚にならざるを得ません。
 
術者側も見せようとして神仏を見せられるものではありませんので、今後神仏との遭遇を期待されてご来院されても困ってしまいますが、せめてこの話がご自身の生き方を振り返る契機になれば幸いだと思います。
 
     当院は特定の宗教団体に所属するものでも、特定の宗教を信仰するものでもありません。
 
【2009年12月2日】

苦難は愛へ至る道

人間の人生にはほとんど常に苦しみがつきまとい、かくもみじめな存在かと思うこともあるでしょう。

釈迦(ゴーダマ・シッダールダ)は王子であった時期に民の苦しみを見、人間の生老病死という苦について思い悩み出家を決意しました。

 

なぜ人間はこのように苦しまなければならないのか、神は「苦難は愛へ至る道」だからと言います。

 

人間は神の分霊であり、幾世もの人間での人生経験を通じ意識のレベルを高め神に近づいていくのです。

 

神の本質は愛のエネルギーであり、人間が愛を覚えるためには苦を通らなければ悟れないのです。

苦しみの最中にあって孤独と苦しさと、永遠に続くとも思える暗闇の中にあって神は慈愛を持って私達を見守っています

 

愛のエネルギーを感じるには心に思いやりや温かな気持ちを抱くと胸の辺り(ハートチャクラ)にほんわりとした温かなエネルギーを感じることができるでしょう。

私達が感じられる愛のエネルギーはそれ位のものですが、本当はもっと愛のエネルギーは強烈かつパワフルで、あたかも加速をしているロケットに乗っているがごとく強く温かい力(エネルギー)として感じられます。

 

マザーテレサをはじめ、古の聖人はそのような神の愛の力を目の当たりにして神の実在を悟り、そして神に至るための修行に人生を捧げてきました。

 

私ももっと神の愛を感じたいし、多くの方々にも同じように感じてもらいたい。

人間はみじめな存在ではなく、もともと愛を知っていてそれを思い出すがために今ここにいる「神の子」なのかもしれません。

 

【 2010118日 】

お盆で具合が悪くなる!?

今年もお盆の時期がやってきました。
この時期お休みをとられる方も多くいるのでしょう。
ちなみに私はお盆も夏休みはありません。
重篤なお客様が続いていますのでなかなかお休みを頂くわけにはいきません。
仕事柄これも仕方がないと諦めています。
 
もう一つ、お盆の時期は具合が悪くなる人が多いので休んでいられないという事情もあります。
お盆で具合が悪くなるとはどういうことでしょうか?
 
お盆の時期はこの現界と幽界(あの世)が近くなるためか、あちらの世界の人たちはこの現界の住人(=私たちのこと)にアクセスしやすいようです。
成仏したご先祖様なら問題はないのですが、中には未浄化な存在、この世に未練や執着を残している存在もいるわけで、彼らは現界の私たちの中で同じ波動の人間に憑いてしまいます。
 
また、お墓参りに行く人も多いと思いますが、墓地にも浮かばれない霊が存在します。
お墓参りに行ったは良いけれど、帰った頃には身体がドーンと重だるい、気分が悪い等不調を訴える人も多くいます。
 
お盆時期は他の時期に比べると霊的障害が起こりやすいという訳です。
霊の干渉の程度にもよりますが、塩を身体にパラパラ撒いた位では霊は離れてくれません。
 
そのような時に気功治療で除霊・浄霊をすれば身体がとても楽になることでしょう。
当院の気功治療は施術者の霊的背後(神霊)の力を使ったヒーリングですので、たいていの除霊・浄霊に対応できます。
 
それでは、霊の干渉があるとどのような状態になるのでしょうか?
 
 
・感情が不安定になる。(憑いた霊の感情を自分の感情として汲み取るため)
・不安感が強くなる(憑いた霊の感情を自分の感情として汲み取るため)
・うつ、気持ちが落ち込む、気力の減退(憑いた霊に気〔エネルギー〕を吸い取られるため)
・過食(憑いた霊の影響)
・パニック発作(霊が上背部に憑いている)
・自律神経失調症と言われる症状
・頭痛
・慢性疲労症候群
・めまい、メニエール(霊が後頭部に憑くため)
・のどの違和感(霊が喉もとのチャクラに憑くため)
・動悸
・身体の痛み(肩痛、腰痛、背中痛など)
・肩こり、肩が重い
・眠くて仕方がない
 
 
これだけではありませんが、軽度の霊的干渉ではこのような症状が出てきます。
病院に行けば症状を感じさせなくさせるため薬を処方されますが、原因を解決できていないため根本的な解決にはなりません。
 
上記の症状は私が日常的に施術をしている症状です。
本当は病院で病名が付いている症状も実態は霊的な障害であることが多いのです。
ただ、私はお客様を怖がらせたり脅したりしたくないので、直接聞かれない限りは霊の話はこちらからは致しませんのでご安心下さい。
 
お盆時期、どうも調子が良くないという人は当院の気功治療を受けてみてはいかがでしょうか。
 
ちょっと霊の話をしてしまいましたが、お盆の本来の目的であるご先祖様に感謝をすることを忘れてはいけません。
私たちより先の時代を生き抜いたご先祖様に思いを馳せ、「ありがとう」と感謝しようではありませんか。
 
2011年8月10日

 

私はまだ大丈夫でしょうか?

一昨日ご来院のお客様(Hさん)にあることを言われました。
Hさんは教育事業に携わっている方で幼児から高校生までのお子さんと日々接しています。
「先生はなんか気が変わってきましたね。なんだか3・4歳の子供の気と似ています。」と。
 
私はじき不惑を迎えるおやじです。
そのおやじが3・4歳の子供の気とは、無垢であり、素直であり、天心であるということなのでしょうか。
私はまだまだ自分自身の霊性が少しもできているとは思っていませんのでそのお言葉を頂き意外な思いでした。
 
「3・4歳の子供は何でも敏感に反応します。こちらが考えていることを言葉ではなく心でわかってしまうのです。ですからごまかしが効きません。」と教えて下さいました。
3・4歳の子供はまだ社会に汚されていない分、心が綺麗で鏡のように相手の気持ちが自分に写ってしまうのだろうと思いました。
 
私はお客様のお気持ち、特に辛い気持ちや痛みをできるだけ汲み取ろうとしていますが、どうしても別人格なので同じようにすべてはわかりません。
また、余りにも自分を開放しすぎると、邪気に無防備になりすぎてお客様の辛さをすべて自分に引き受けて施術どころではなくなってしまいます。
それでもできるだけお気持ちをわかってあげたいと思っています。
 
私は難病の方のお役に立てるようもっともっと気の力を高め施術効果を上げていかなければならないと日々自分に言い聞かせています。
そのためには背後の治療神に近づかなければなりません。
振動の重い肉体を持つ人間と、振動の精妙な神霊とは余りにも波動が違います。
そこには大きな波動の違いが壁となって存在します。
そこをいかにして近いものにするか、融和していくかというと、自分を浄化していくしかありません。
 
浄化には肉体的な浄化と心・精神、魂の浄化があります。
肉体的な浄化は今デトックスという言葉が広まっていますが、身体の不要な毒素を排泄し綺麗にしていくことです。
また、身体に有害なものを摂りいれないというのも大切です。
半断食をしていると気功治療日誌にも書きましたけれど、初めて2ヶ月半で13㎏体重が落ちました。
落ちたのを自慢しているのではありません、私はもう少し体重があった方が見た目も良いのでそうしたいのですが、今の食生活ではここまで落ちてしまったということです。
 
心・精神、魂の浄化とは見えないところ、エネルギーの浄化です。
心と精神を綺麗にするにはネガティブな事を思わず、とらわれないことが大切です。
私にとっては怒らない、人のせいにしない、奢らないで謙虚な態度を貫く、どんなことでも感謝の気持ちを持ち続けるなど自分をコントロール、節制することが浄化になります。
 
一方、魂の浄化はマントラ(真言)を唱え瞑想をしていくことです。
私たちが認識可能な顕在意識下にある潜在意識・集合意識のレベルに蓄積されている無形のネガティブなカルマをマントラの力で燃やしていく、浄化していくのです。
 
これはどこまで自分ができているか計数化できませんのでわかりにくいのですが、自分の生活が穏やかで平穏、清浄で温かいものであれば進歩をしていると思って良いのではないかと思います。
 
そういったところでHさんに頂いたお言葉はとても励みになりました。
 
Hさんは気など見えない感覚に優れたところがあるのでそうお感じになったのだと思いますが、私の周りにもHさんのように人の本質を見抜く力を持っている人がいます。
私はその人達に好かれていれば、神様にもきっと好かれるのだろうと思っており、特にその人達との関係を大切にしています。
 
その一人がTちゃんです。
Tちゃんは6歳ですが生まれつき重い発達障害を持っていますので未だ意味のある言葉を発することはできませんし、一人で立つこともできません。
言葉をかけても殆ど反応しません、ボーと宙を眺めているように見えます。
では、反応がないから「この子はわかんないのだ」と思って良いかというと、またそれは違うと思うのです。
私の直観ではTちゃんは発達障害で脳の機能が健常でない分、一般の人にない感覚を持っているように感じます。
言葉をかけても返してくることはありませんが、何か心の奥底まですべて見透かされているように思うのです。
Hさんが3・4歳のお子様と接するときに「ごまかしが効かない」と言ったのと同じかそれ以上で、心だけではなく、魂まで丸裸にされているような気がします。
そんなTちゃんだから果たして私のことを気に入ってくれているかどうかもわかりません。
「あー、あー」という言葉の端々に最近少し笑顔が見られるようになりました。
そのようなところを私は感じ取って、「私は今のままで大丈夫なようだ」と自分自身を計っているのです。
また少し前のことになりますが、店舗を移転して初めて入った予約がTちゃんだったので、応援してくれているのかはわかりませんけれど、「あぁ、私はまだ大丈夫らしい」と思ったものです。
 
もう一人は修行仲間のKさんです。
Kさんは自分自身を「平家の落ち武者」と例える様に、風貌からして少し変わっています。
サティア・サイババにも何回か会ったことがあるそうです。
サイババに会うにはサイババに呼ばれなければ会えないのです。
それだけ魂が綺麗で霊性が高い人だと思います。
サイババだけではなく、Kさんの周りにはなぜか不思議な人が集まります。
Kさんは今まで2人空中を飛べる人と会ったと言っていました。
「へぇ~!?」という感じですが、嘘をつく人ではありませんのでおそらくそうなのでしょう。
私などは一度もお目にかかったことがありません。
宙に浮かぶ人だけではなく、何もないところからものを取り出す物質化を自由自在にする人とか不思議な人が集まります。
当院には「仙台四郎」さんを福の神としてお祀りしていますが、仙台四郎さんの写真を見ると「う~ん、Kさんにそっくりだ」と思ってしまいます。
私はKさんと会うのをとても楽しみにしているのですが、おそらくKさんも楽しみにしてくれているのではないかと思っています。
私の心に奢りや邪心が芽生えたら、Kさんと会うのはできなくなると思います。
Kさんと会って不思議なお話をする機会がある間はまだ私も大丈夫なのだと思います。
 
最後の一人が仙台四郎さんです。
仙台四郎さんは故人ですからお会いすることはできません。
笑っている写真が当院に飾ってあるだけです。
仙台四郎さんは生前から生き神様です。
生き神様だけあって、相当心が純真で綺麗なのでしょう、写真の笑顔も溢れんばかりの笑顔です。
笑顔の写真だからその表情は変わるはずはないのですが、私が仙台四郎さんにご挨拶をすると実際に笑っていてくれているように思うのです。
生前の仙台四郎さんは人の本質を見抜く力があり、仙台四郎さんがふらっと立ち寄ったお店は大繁盛をしたそうです。
その店の雰囲気か店主の持っている何かを感じたのでしょう。
その一方で、「四郎さん、おいしいものをご馳走しますからうちに来て下さいよ。」とお招きしてもそっぽを向かれ素通りされた店は自然と傾いていったと伝えられています。
私は仙台四郎さんから感じる笑顔の感覚、それがある間は大丈夫なのだと思います。
 
【2011年9月18日】

裏の努力

先日桑田真澄さんの本「心の野球」を読み、そこに彼のユニークな哲学が書いてありましたのでご紹介したいと思います。
 
桑田真澄さんと言えば読売ジャイアンツのエース18番を長く守ってきた真のエースであり、読売ジャイアンツを辞めた後に、メジャーリーグのパイレーツに移籍した実力派の投手です。
現役を引退し、早稲田大学の大学院に入学、首席(!)で卒業し今は解説者を務めています。
プロ野球選手としても超一流ですが、頭の良さも人より抜きん出たものがあると思います。
 
その桑田さんは著書の中で「裏の努力」をしてきたと言います。
「裏の努力」とは始めて聞く言葉です。
誰もが才能豊かなプロ野球選手の中で成功を収めていくには努力が必要なのでしょうが、プロですから誰でも相当の努力はしているはずです。
桑田さんがいう「裏の努力」とはどのようなものなのでしょうか?
それは見えない力を引き寄せる努力なのだそうです。
 
「表の努力」とはランニングをしたり、ピッチングの練習をしたり、野球に関する技術を身につけたり体力をつけたりすることをいいます。
プロ野球選手の特に1軍の人であれば高いレベルでやっています。
一方「裏の努力」とは、トイレ掃除だったり、草むしりだったり、挨拶や返事だったり、ごみが落ちていたら拾うことだったり、野球とは全く関係のない努力のことをそう言っています。
人の知らないところで裏の努力をすることは運・ツキ・縁を貯金することになるというのです。
 
これは日本人が古来から大切にしていた「徳」に相当します。
ある程度の高いレベルの野球技術を持つ選手たちの中で、頭一つ抜け出すのは、桑田さんのように見えない力を引き寄せることができるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
余りにもそれを期待しすぎてやっては余り効果はないと思いますが、それが習慣になり自然と「裏の努力」ができる人はそこそこの頑張りで成功を手中に収めていると思います。
物事がうまく運んだときには「お陰さまで・・・」といいますが、それは見えない力が働いたという意味です。
 
それを読んで思い出したのが、私がかつてサラリーマンだった時に勤めていた会社のNさんのことです。
Nさんは人より早く出勤した後、会社のあった渋谷駅からオフィスまでの道のりをごみを拾うためにまた往復していた人です。
確かにNさんは人望が厚く、まわりの人からも慕われています。
神様はこのような生き方を喜ばれることでしょう。
例えばヒーリングとか霊視とかの特別な能力がなくても、人のために自然と奉仕することができる人は本当に霊性が高い人だと思います。
逆に特別な能力があっても、思いやりがなかったり、自己中心的だったりするとその人の霊性はどうなのだろうかと疑わしくなってしまいます。
 
社長が会社の中で社員よりもまっさきに出社し掃除をしている会社は栄えているそうですが、そんな社長さんは「裏の努力」ということをよくご存知なのでしょう。
 
お金についても日本のお金持ちはお金を溜め込んでなかなか使わない人が多いようです。
使ったとしても自分の贅沢のために使います。
インドのお金持ちは神事や人のために使います。
寺院などへの寄付であったり、自分より貧しい人ののために使うのです。
そうしたお金の使い方は活きた使い方であり、巡り巡って自分により多くの豊かさをもたらします。
お金もある種のエネルギーですので、活きた良い使い方をすれば自分にまたそれ以上に帰ってくるのです。
これは法則です。
インドのお金持ちはこの法則を知っていますので喜んでそのようなお金の使い方をします。
 
桑田氏の「裏の努力」やインドのお金持ちの話はいかに神様に好かれる生き方をするかということに尽きます。
私も見習いたいと思います。
【2012年4月9日】
 

1年で最高の吉日 アクシャヤ・トリティヤ

シータラーマさんのメルマガより以下転載します。


 
今インドは一年に一度の大吉日と言われる日が近づいています。毎年4月~5月にかけて迎える、太陽と月の明るさがピークに達する日、それが今迎えようとしている「アクシャヤ・トリティヤ」です。
 
「アクシャヤ」がサンスクリット語で「不滅の」という意味を持ち合わせるように、この日に願われ祈られた物事は終わることなく永遠に続いていくと言われます。また、太陽と月の輝きが最も強くなるように、物事の輝きと成功を願って、人々は事業や建設、ビジネスなど、ありとあらゆる物事をこの時に始めます
 
金や価値のあるものを購入するのにも最も良い日であり、数日前から新聞や広告はアクシャヤ・トリティヤの特集が組まれ、街ではこの吉日セールが催されほど、高価なものが飛ぶように売れ街は大盛況となります。特にこの日のゴールドショップの賑わいは目を見張るほどで、金を入手しようとしても、あまりの混みように手にすることすら難しい日本の歳末のような雰囲気に包まれます。
 
一方で、幸運を運ぶ日としても知られるこの日は、寄付を施した人々にも恩寵が与えられると、貧しい人々や寺院など、人々は寄付をすることも忘れません。特に北インドでは4月も中旬を過ぎると45度を超える日も珍しくはない、一年中で一番暑い夏を迎えます。その夏の始まりとも言えるこの日、人々が寺院へ土でできた水甕(マットカ)を寄付する姿を見かけます。不思議なことに入れておくだけで水が冷たく保存されるこの土でできた水甕は、現在でも大切に利用され続け、暑い夏を乗り切れるよう願いと共に、古くからの伝統がしっかりとここに伝えられていると感じたことを覚えています。
 
そして欠かせないのが結婚式です。この日に誓われた願いは永遠に朽ちることがないと、何をするにも大変な酷暑の時であってもこの日を選ぶカップルは非常に多く、街中で結婚式が執り行われお祝いムードに包まれます。
 
そんな賑わいを見せる日でも、断食をし静かに祈り続ける人がいます。富の象徴であるラクシュミー女神のプージャも欠かすことができません。華やかに賑わうその瞬間の中にも、生活の礎である祈りはこの時も失われることなく続いています。今年は4月24日がその吉日です。今この時世において、一人一人が朽ちることのない永遠の世界の至福を願うべく日が近づいていると、そう感じています。(転載おわり)


 
国や文化は違いますが、日本人もこのアクシャヤ・トリティヤの日を大切にするのも良いかと思います。
今年は4月24日(火)です。
私は普段より多く瞑想をして祈りにこの日を捧げたいと思います。
 
尚、昨年は5月6日でした。
私はその日がアクシャヤ・トリティヤだったと後になって知ったのですが、偶然にも店舗の引越しをして最初の営業日がこの日にあたっていました。
この偶然に神の恩寵を感じずにはいられませんでした。
 

【2012年4月18日】

人生に迷った時に、天使の声を聞いてみる

生きていると人生の岐路で色々と迷ってしまうことがあることと思います。
そのような時は皆さんはどうされていますか?
 
私は瞑想に入り私をサポートして下さっている霊的存在にアドヴァイスを求めるようにしています。
そのようにするようになってから随分になります。
いつでも適切なアドヴァイスを頂けていると思っています。
自分の思いもよらない助言を頂いたりして肚に入ってくるというか魂に響くというか、すごいものだと感じることもしばしばです。
 
私は瞑想が習慣になっていますのでこのような方法がとれますが、それができない人はどのようにしたらよいでしょうか。
 
1つには霊能者や占い師などに助言を求めるのも1つだと思います。
しかし、これは能力がピンキリであり、なかなか有能な方を求めるのは難しいと思います。
世の中にはハズレの人の方が圧倒的に多いからです。
ブラックな力を使う人も多くいます。
アドヴァイスを貰うにしてもその相手の意識レベルを超えるアドヴァイスは出てこないのです。
人生の岐路でどのような判断をするか、その問題の本質をどう捉えるかの答えは意識レベルによって異なってきます。
人生の岐路ではどちらに進もうと間違いということはありません。
人生には無駄というものはないからです。
いかなる経験であっても自分に必要な経験なのです。
 
私が人にお勧めしている方法は中森じゅあんさんの「ANGEL CARD」です。


これは大分前にお客様から頂いたもので、それ以来時々カードを引いて愛用しています。
そのお客様は「あなたが天使なんじゃないの?」という位心が綺麗で天使的な存在でした。
ANGEL CARD」は52枚のカードから成り、それぞれに天使のメッセージが書かれています。
心の中で「○○のことで、適切なアドヴァイスを下さい。」と祈り、カードを引くと今の自分に必要なショートメッセージが出てきます。
ANGEL CARD」は基本的にプラスのメッセージなので、マイナスのメッセージを受けて「変なのが出た」とか「見なきゃ良かった」とか思うことはありません。
メッセージは本当に不思議な位「あぁ、そうか」と納得します。
これもまさに肚にストンと入ってくるという感じです。
3行位のメッセージに涙が出そうになることもあります。
少し時間を置いてカードを引くと、また同じカードが出てくることも何度かありました。
確率的にはちょっと考えにくい、やはりこれは今の自分に必要なメッセージなのだと受け取らない訳にはいかなくなります。
 
このカードを愛用していると天使(?)という見えない存在が私たちを見守っていて下さることを実感されると思います。
 
日常的に「今日のメッセージを下さい」とカードを引くのもよいでしょうが、私は色々と迷った時にカードを引くようにしています。
来院したお客様にも時々「どうぞ」とカードを引いてもらっています。
天使からのメッセージで心を励ましてもらったり、背中を押してもらったりして元気になる方もきっと多いものと思います。
 
 
【2012年5月12日】

一家、家系を守る人

私たちの魂はその家系(ご先祖様、家族・親族)とつながっています。
魂には縦の結びつきと横の結びつきがあります。
横の結びつきは自分の過去世とのつながりで、縦の結びつきはご先祖様~子孫との結びつきです。
目には見えませんが他の人とつながっているのです。
そのため、先祖を敬う人は先祖のご加護を得て安定した人生を歩むと言われています。
 
先祖は自分で分かるじいちゃん、ばあちゃんだけではなくそこから更にずっと昔々へさかのぼります。
ご先祖様の中には生前の行いが悪く地獄界に堕ちている魂もいますし、またエゴ・執着が強いために浄化できず未浄化のままこの世とあの世の境にとどまっている魂もいます。
この様なネガティブな魂は常に苦しみを味わっています。
そこから抜け出したいと願いますが自力ではなかなか抜け出せません。
肉体を持って生きている私たち人間はこの物質界という制約が多いこの世界で学びを得ると魂の境地(意識レベル)があがります。
進歩が得やすいことがこの物質界の特徴なのですが、肉体を脱いだ後の死後の世界はなかなか境地が上がるということがなく、死後入り込んだ境地にいつまでも留まります。
そのような世界に陥ったご先祖様は永く苦しみ、そのネガティブな気(エネルギー)を発し続けます。
 
自分の家族や親戚を見渡して特に皆霊感もなく精神世界への関心もないのに自分だけなぜかそれがあるという場合、それは一家一族を守る役割を持つ人です。
ご先祖様のネガティブな気(エネルギー)はそのような人の所に届くことがよくあります。
そのため、このような人はネガティブなエネルギーを受け、身体がだるくなったり、痛みが生じたり、感情がネガティブに引きずられたりします。
とても生き辛い人生を送ります。
どうして他の家族は元気なのに自分だけという場合はこのようなご先祖様のネガティブなエネルギーを受けている可能性があります。
 
他界したご先祖様は一旦堕ちてしまうと自力でその境地が上げられませんが、魂のつながりがある子孫の意識レベルが上がると一緒になって上昇します。
先祖供養の形としては、子孫の私たちがまずご先祖様のご冥福を祈り感謝の思いを持つということがありますが、それだけではなく自分自身の意識レベルを上げるという方法もあるのです。
 
意識レベルを上げるのに有効なのは霊性修行をすることです。
どのヨガの流派や宗教のやり方でも良いと思います。
特に良いのは瞑想を実践し自分の魂を浄化することです。
特別な霊性修行を実践しない人は、日々の仕事を神に捧げ奉仕する意識で熱心に取り組むと良いです。
魂の浄化が進み意識レベルがあがりますと、ご先祖様も芋づる的に境地が上がり感謝されます。
 
また、その影響は同時に自分の家族親族まで及びます。
霊性修行を実践するとその家系のカルマも浄化されますので、他の家族親族はそのカルマの影響が軽減されるので人生を生きるのが楽になります。
本来は障害が出てくるところがそれがなくなったり、大きな問題が軽微な問題にすり替わったりします。
 
このように霊性修行をしている人の家族親族はその恩恵を知らず知らずの内に受けています。
もっとも日本では一般的にこのようなことが知られていないので、家族親族が「いつも修行をしてくれていてありがとうね」とは言うことはありません。
仏教の信仰が厚いタイではこのようなことが一般的に知られています。
そのため、一族から誰か一人を修行に出し、その金銭的サポートを一族の他のメンバーで請け負います。
一族の繁栄・成功は修行をしてくれている人のお陰であると考え、感謝をします。
「お陰」とは見えない力のことをいい、その力の恩恵によって今の幸せが享受できると考えるのです。
 
一家・家系を守る役回りの人はどの家系にも一人はいます。
自分だけなぜこのような辛い人生を送るのだろうと嘆いていないで、その家系のカルマ(因縁)を浄化し消除すべく修行に励むと良いのです。
それによりこれまでその人の足を引っ張っていたご先祖様は浮かばれて成仏し、今度はその人のための守護霊に変わります。
見えない力、ご加護を得て益々充実して平穏・安定した人生を送ることができるようになるでしょう。
 
 
 霊性修行は外気功療法さいたま院併設の「ヒーリング クァンイン さいたまオフィス」で指導しています。
 
【2012年9月14日】

物事がうまくいかない時は

何か事を成そうとした時に色々と障害があってうまく運ばないことはありませんか。
 
私もそのようなことは時々あります。
そのような時にはいらだちを覚えたり、腹が立つこともあります。
しかし、往々にして力尽くでそれをやろうとしてもうまくいきません。
 
私の経験的にはそのような場合、例え事を成し遂げたとしても良い結果に結びつかないことの方が多いように感じます。
事がこじれてしまったり、スッキリしなかったり・・・、こんなはずじゃないのになという感じです。
 
私は自分の身の回りの起こる出来事はすべて自分の意識と関係していると信じています。
また常に神(表現は何でもよいのです。大いなる存在でも、仏様でも、宇宙霊でも)という法則の中でこの世の体験を積んでいると考えていますので、身の回りに起こる出来事に神の意思を汲み取ります。
つまり、身の回りに起こる出来事は偶然の産物ではなく、自分自身の意識と神の意思が複雑に錯綜した結果起こるものと考えています。
それを踏まえ、どうしても事がうまく運ばないものは神が「あなたはそこに行くのではないよ。」と言っていたり、また「まだ時期ではないよ。」と言っているサインと解釈します。
 
こんなにやっているのになぜうまくいかないのだろう、障害がやたらと起こる・・・という場合はちょっと時間を置いて再度トライしてみたり、「あぁ、違うのか」とあっさり諦め違う方向からトライすることにしています。
「何としても手に入れたい」「どうしてもやりたい」という時、物事に対する執着やエゴが強くなっていますので、そのような時には事がうまく運ばないものです。
その時は一旦手離した方が結果的にうまくいきます。
 
またそのような時に事を簡単に諦めてしまうことを自分の中の挫折として捉えるのは良くないと思います。
様々に立ちはだかる障害に涙を呑んで断念したことも、それは神が敢えて「そうじゃないよ」と仕組んだことかもしれません。
そのようなことは時間が経ってはじめて「あぁ、やはりあの時そこにいてはいかなかったのだ」と分かり、神への感謝を覚えるものです。
その場、その時は神の意思はわかりにくいものなのです。
 
人生のエネルギー長いスパンで見ると停滞期と興隆期があります。
停滞期はエネルギーが弱くなっており、何をしてもうまく進まない時期ですから余り動かずじっと静観していた方が良いです。
一方、興隆期には余り力を入れなくても物事がとんとん拍子に進み思いが叶います。
 
人生にはライフサイクルがあり、宇宙にもリズム(波)があります。
波に逆らいがむしゃらに腕力で扉をこじ開けようとしても疲労するだけです。
身の回りに起こる現象に神の意思を汲み取る、自分の執着を手離す・軽くすると楽に人生を生きることができると思います。
【2012年10月26日】

Sさんのお不動様

Sさん(86才)は私が出張で気功治療をさせて頂いているおばあさんで、優しくて温かいお人柄でまわりの多くの人から大事にされています。
Sさんはご神仏への信仰が厚く、中でもお不動様(不動明王)への信仰は格別です。 
不動明王(世界大百科事典第2版の解説
サンスクリット名アチャラナータAcalanāthaの漢訳で,発音に従い阿遮羅囊他と記す場合もあるが,不動金剛明王,不動尊,無動尊,不動使者,無動使者とも訳す。もとはインド教のシバ神の異名で,仏教はこれを大日如来の使者としてとり入れた。如来の命を受けて忿怒の相を表し,密教の修行者を守護し助けて諸種の障害を除き,魔衆を滅ぼして修行を成就させる尊像とした。形像は,右手に剣,左手に羂索(けんさく)を持ち,青黒色の全身に火焰を負う姿が一般的である。

 不動明王
 ※Sさん所有のお不動様ではありません
そのSさんがベッドの横に置いてある木彫りのお不動様を見せて下さいました。
 
「このお不動様はあるお坊さんから頂いたのですが目が開いているでしょう。でも最初は目が閉じていたのです。私が毎日拝んでいたら段々と目が開いていったのです。今ではパッチリと開いているでしょう。」と言われました。
 
確かにそのお不動様は両目がパッチリとしています。
普通お不動様は左の目を閉じていることが多いように思います。
これは天地眼といって右目で天を見、左眼で地を睨んでいるものと言われます。
 
「眼がパッチリ開いたら、これをくれたお坊さんは眼が開いたことがわかったそうですよ。」
と続けて言われました。
 
私はその不動明王像の以前のお姿を見た訳ではありません。
しかし、そのSさんはこのような嘘をつくお人柄ではありませんのでおそらく本当のことだと思います。
神の世界では物理法則では説明がつかない不思議な奇跡的現象を見られることがあります。
よく聞く話ではどこかの教会のマリア像や、観音像の目から涙が流れ出たというのがあります。
私もこのようなことは幾つか経験しています。
しかし、それは敢えて人に話すべきことでもありませんので多くは心の内にしまっています。
そのお不動様の画像を撮影しようかと思いましたが、それは喜ばれないことだろうと思い撮るのを止めました。
 
このSさんは夜中に原因不明の呼吸困難で息ができなくなるという症状が続いていて死にかけた場面が幾度もありました。
その度に救急車を呼んだり、出張医を呼んだりしていたのですが、原因がわからず医師は鼻が詰まったのだろうと鼻の穴の掃除をして帰るのだそうです。
鼻の穴は詰まっていませんのでとんだ見当違いだったと思います。
その呼吸困難も私がヒーリングをさせて頂く様になってからその症状が出なくなっています。
「水野先生に会っていなかったら私はとっくに死んでいたでしょう。」と感謝のお言葉を頂きました。
 
私はSさんを助ける一助にはなったかもしれませんが、それをしたのは神であることを知っていますので、「それは神様のご加護があったのですね、良かったですね。」と答えました。
 
私の店は2年前まで北浦和にありました。
そこから引越して現在の浦和で店を構えているのですが、移転の際よくご利用頂いていたお客様には移転案内を発送させて頂きました。
Sさんご夫婦は私が移転をしたことを覚えていたのですが、移転案内を紛失されてしまい私がどこに引越をしたのかわからなくなっていたそうです。
老ご夫婦ですから、私の店の長い店名も覚えていなかったのでしょう。
Sさんはご友人に浦和近辺にいる水野という気功家を探してほしいと依頼しました。
そのご友人様はあちこち浦和の店に聞いて回り、偶然にも私が普段リネン類を出しているクリーニング屋で聞き込みをして私の所在がわかったそうです。
突然そのご友人様が私の店に来て、「急いでSさんに連絡をしてあげて下さい!」と言ったので驚いたことを覚えています。
インターネットが使える世代であれば店を探す等は何ということもないのですが、アナログで探そうとするとかなり骨の折れることであったでしょう。
 
心が純粋で信仰の厚い人を神が見捨てることはないと私は固く信じています。
 
【2013年2月26日】

 

パワースポットブーム

近年は書店に行けば「パワースポット・・・」と名が付く本が幾つも並び、多くの人の関心事にパワースポットがあることが伺えます。
パワースポットとは、気場、イヤシロチ、龍穴ともいいます。
良質なエネルギーが豊富かつ強力な場所のことをいいます。
多くは寺社仏閣であったり、自然の中の山海、温泉であったりします。
そこにいるだけで良い気(エネルギー)をたくさん浴びることができ、それで不浄なエネルギーが浄化され元気になったり、運気が好転したりします。
スピリチュアルなことに関心がある女性はパワースポットに行こうとよく言っている様に感じます。
 
パワースポットの効用はその様なものですが、その効果は人それぞれ異なります。
なぜならその気をどれだけ受け取れるかはその人のチャクラの活性度やオーラ(身体のエネルギー場)の状態が影響するからです。
ある人はパワースポットで多くの気(エネルギー)を吸収し浄化が進み「ここは凄い場所だ!」と感動を覚えるかもしれませんが、別の人は「何がパワースポットなのかよくわからないな」という感想を言うかもしれません。
 
また、寺社仏閣の場合はそこに祀られているご神仏との縁の深さも影響します。
日頃からご先祖様や神々様を想って感謝の気持ちで生活している人と、「神なんかあるもんか」と神仏を否定的に思う人や科学絶対主義の人(唯物論者)とでは、受け取れる気(エネルギー)の多さに違いが出るでしょう。
例え敬虔なキリスト教徒の人が、神社を訪れてもその場合でも多くの気(エネルギー)を受け取れます。
なぜなら神々は多くの形態を持って現れていますが、究極的にはワンネス(一つ)であるからです。
 
何かと益が多いパワースポットですが、パワースポット・霊地を訪問し却って具合が悪くなったという人もいますし、その後怪我をしたり病気になったりする人もいます。
寺社仏閣の様なパワースポットでは、確かに良い気(エネルギー)が多いのですが、一方で不浄な人間が落として行った邪気も幾らか存在します。
その様な人はパワースポットで良い気(エネルギー)を貰うどころか、邪気を拾ってしまっている訳です。
不純な動機でそこを訪れたり、また体調が良くない状態で行ったりすると、邪気を貰ってしまう可能性があると思います。
体調が良くないということは自らの心身に邪気が多くある状態と言えますし、それだからこそ邪気と同調し拾いやすくなります。
また身体を守るオーラ(気場)も弱くなっていますから外部からの邪気の侵入を許してしまいます。
ですので猫も杓子もパワースポットに行けば健康になり運気が好転するというものではないのです。
私はパワースポットに行くときは、斎戒沐浴(冷水を被る等し心身を清める)をし、念のため法具(パワーアイテム)で身を固めて行きます。
彼の神人、出口王仁三郎(宗教・大本の二大教祖の一人)であっても霊山で魔に襲われ意識不明になることがあったと言いますから、私たち凡人であれば尚の事気を付けねばなりません。
 
多くの人が訪れるパワースポットにはそこの神々が浄化しきれない邪気もまたあるのだと思います。
本当にパワースポットが分かる人は、そこを穢されたくないので人に話さないものです。
本で紹介されているところも確かにパワースポットでありますが、本当に凄いところは表に出ていないと考えた方が妥当です。
 
富士山
 
先のコラムでも書きましたが、富士山が世界遺産になって日本・世界から多くの人がゾロゾロと訪れるようになって私は本物の霊地が穢されてしまった思いで一杯です。
富士山は日本、特に関東を守っている霊山ですから大切にしなければならないのです。
穢れた人が多く山に登り、邪気のみならずゴミも多く落として行っているので本当に嘆かわしいと思います。
富士山周辺に住む人達は観光地として栄えるので商業的な観点から世界遺産認定を喜んでいると思いますが、スピリチュアルな観点から言うと認定を受けるべきではなかったのです。
 
厳しいことを言うようですが、日頃ご先祖様やご神仏に感謝することもせず、氏神様も大切に思わない人がどれだけのものを受け取れるのでしょうか。
パワースポットの前にまずはそちらを優先すべきと私は考えます。
行ってはいけないという意味ではないのですが、団体でゾロゾロと行くものでもないし、観光気分で浮かれて行くものでもないのです。
独り、もしくは心底そこに行きたいという気持ちが高まっている人と少人数で静かに訪れてこそ神縁も深まり浄化も進むというものです。
 
【2014年6月29日】

ご愛読いただきありがとうございます。
また、どうぞお訪ねください。

 

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