気功治療・遠隔治療の専門院 外気功療法さいたま院、埼玉県

 

 
 
 
 
 

気功治療日誌 ~ スピリチュアル ~

日々の気功治療の際に感じたことや治療に関係なく思ったことなどを徒然に綴っていきます。
中には「こんなこともあるのか」とビックリされることもあるでしょう。
また、他にはない視点の情報を知っていて良かったと思えることもあるでしょう。
少しでも皆様の共感を覚えるところがあれば幸いです。

 神々や背後霊を大切にする人ほど治りやすいのも確か
 
「僕は映画の奴隷なんです。」宮崎駿氏(映画監督)に垣間見える霊媒体質
  
力を渇望してはダークサイドに陥るだけ
 
実在の不確かさについて
 
未来は今ここにある
  
先生の手はおじいさんの手
 
松井のホームランはUFOにあたるか

 
神仏との遭遇
 
苦難は愛へ至る道
  お盆で具合が悪くなる!?
  私はまだ大丈夫でしょうか?
 

神々や背後霊を大切にする人ほど治りやすいのも確か 【2008年9月12日】

このようなことを言うと「ええっ、胡散臭い!」と眉をひそめる人がいるのも分かっていますが、本当のことなのであえていいます。

自分の力だけで人生を渡ってきていると己の力を過信し目に見えないものを信じない人よりも、自分をお守り下さる背後の力、または産土神、氏神といった神々への感謝の思いをもっている人の方が病気は治りやすいという傾向を感じています。
 
難病の人ほどその傾向はあります。
 
最近も10年以上煩った自律神経失調症が驚く程短期でほとんど症状を感じなくなるまでになったことがありました。
その方へ気を送っていると、とにかく光がまぶしい。
確かに長い間病に苦しんだけれども、神様はそのお客様を大切に見守っておられると感じました。
その方は産土神(神社)へのお参りを欠かさず、感謝の思いを伝えてきた人です。
 
私の施術院に来て下さるお客様には、そのお客様本人とのご縁、またはその背後霊とのご縁を感じます。
長年病に苦しんだけれども、「そろそろ治ってもいいのだ」と背後霊が判断し、当院にお客様を連れてくることがあるように感じています。
 
人間は五感を通じて世界の認識を持ちますが、五感で把握できる領域はすべての内の1%くらいであろうと霊性の高いスピリチュアルマスターは言っています。
つまり、私達は世界の認識についてほとんど盲目に等しい状態であるのに気付かなければなりません。
 
見えない世界や神々、背後霊などは厳然として存在するものであり、自分が知覚できないからといってそれが存在しないことにはなりません。
私は気功治療家です。
その本質は右脳の開発によって異界との扉が開いているということ。
それによって、多くの人が感じないものを認識することができますから、この仕事に携わってから尚一層目に見えない力を敬うようになりました。

「僕は映画の奴隷なんです。」宮崎駿氏(映画監督)に垣間見える霊媒体質 【2008年9月20日】

映画監督の宮崎駿氏は昔から大好きで「ルパン三世~カリオストロの城」から「崖の上のポニョ」まですべての作品を視ています。
それぞれの作品はアニメーションの動きがまるで本物のように生き生きとして、それに引き寄せられるようでとても美しいものですが、ストーリーも先が読めず、ハリウッドのような派手な演出もないので視た後いつまでも心に感動の余韻が残ります。

宮崎駿監督の名作に「風の谷のナウシカ」があります。
この作品は元々月刊アニメージュで連載していた漫画です。
全7巻ものですが、その内の1~2巻が映画化されました。
映画「風の谷のナウシカ」は大ヒットし多くの人が感動をした作品ですが、実は原作の漫画の方は一風映画とは話も異なります。
ナウシカという主人公の女性のキャラクターも違います。
漫画「風の谷のナウシカ」を映画で大衆受けするように作風を作り変えています。
原作漫画全7巻中の7巻の後半の話は圧巻!で私も何度も読み返して楽しませてもらいました。
この漫画は私が墓場の中までもっていきたい、これまで読んだ漫画の中で最高のものと思っていますが、「風の谷のナウシカ」の漫画を一度読んで理解できる人は極めて少ないと思います。
この話はある程度霊的なものに抵抗がなく、スピリチュアルな世界について体験的にも理解した人でないと何言っているのかさっぱり分からないはずです。
例えば、ナウシカが最後のクライマックス、墓所の主に「いのちは闇の中に瞬く光だ!」と叫んでいたり、人間は神という存在の遺伝子操作の産物であるとか、古代から伝わる秘教のエッセンスや世に隠された真実がさらりと書いてあります。
私は「すごい!そうだ!そうだ!」と頷いてしまうのですが、ほとんどの人は「?」でよく分からないと思います。
なぜ、宮崎駿監督はこのようなこと知っているのでしょうか?
 
舞台設定や話の展開など、はっきり言って人間の空想、想像物とは思えない重厚な内容で、あたかも別次元の実話を基に書いているようにも思えます。
私はそう信じているのです。
宮崎駿監督は漫画家・映画監督ではありますが、そのアイデアの源泉は監督自身の意識にあるものではなく、別次元の意識体にあるのではないだろうかと。
つまり、宮崎駿監督は別次元からのメッセージを受け取るチャネラーだと思うのです。(ご本人がそれを自覚しているかどうかはまた別問題ですが)
 
先日、NHKのプロフェッショナル「仕事の流儀」で宮崎駿監督の特集が組まれました。
宮崎駿監督が手がけた「崖の上のポニョ」は監督自身「これが最後の作品」と言っており、(結構、いつも言っています)、それだけに映画製作という仕事を進める過程をカメラに収め公開するのを許したというのです。
それをみて私は自分の見方が間違っていないことに確信を持ちました。
 
まず宮崎駿監督は霊能があります。
亡くなった友人が病院で家に帰れず茫然自失としているのが分かり、霊体になった友人を車に乗せその友人宅まで送ってあげたという話が出てきました。
「僕の想像でやったんですが・・・」と、それを自分を納得させるための儀式として行った行為であると話していましたが、儀式ではなく実際に見え、聞こえたのだと思います。
宮崎駿監督ともあろう者が、NHKの番組で「友人の霊が病院にいましてね・・・」とは言えないでしょう。
 
もう一点、宮崎駿監督はあちら(別次元)からのメッセージ(インスピレーション)が来ないといつまで経っても作品のストーリーが進まないのです。
一般に作家は自分の作品(アイデア)を自分の脳の産物だと思っていますが、一部の作家はチャネリング的な表現方法をとる人もいます。
宮崎駿監督はこの後者にあたりますが、このタイプの人は作品の展開が自分でも分からないのです。
あらかじめ、話の起承転結、落ちなどストーリーの概略を決める一般の作家と違い、おもむろに話を紙に表現し出し、話が頭に沸いてくるのを紙にたたきつけるようにして展開させていきます。
だから、書きながら「ああ、面白いね、この話・・・」なんて自分で書いたストーリーに感心していたりするのです。
霊能で「自動書記」というものがあり、霊媒は自我を無にするとあの世の霊が霊媒を使って紙に話やメッセージを書かせます。
いわば宮崎駿監督はこの「自動書記」で漫画を書いていると言っても過言ではありません。
 
ポニョの封切りのスケジュールが決まっていて残りあとわずかというのに最後の場面をまったく書けず苦しみもがく宮崎駿監督が番組では印象的に捉えられていました。
結局最後の最後にポニョの最終場面を書くことができたのですが・・・
 
もう一つ、チャネリング的な作家の作品の特徴として「あたる」というのがあります。
霊界の手回しで大いに売れるのです。
私も「崖の上のポニョ」を視ましたが、はっきり言ってこれまでの作品と比べると明らかに肩透かし的な(簡単に表現するとつまんない)のですが、売上はこれまでの監督の作品の中で最高!と無茶苦茶ヒットしています。
このように良いところが良く分からないけど結果が凄いというのは霊界のお助けが出ている証拠です。
 
最後に・・・「プロフェッショナル」では宮崎駿監督が自身をこう表現していました。
「僕は映画の奴隷なのです。」
この言葉にはチャネリング的作家であるというのがうまく表現されていると思います。
この言葉は「僕は映画の(神様の)奴隷なのです。」という意味です。
これはなかなか言えない言葉です。
 
「自分は○○の奴隷だ。」と・・・私はここに「気功治療」という言葉を入れたいのですが、果たしてそこまでできているかどうか・・・
この原稿を書いている今の時刻は、夜の11時15分を回ったところ、まだ店に独りでいます。
施術を遅くまでやってそれからホームページの原稿を朦朧とした頭で書いて、自分なりに頑張ってはいるつもりなので「僕は気功治療の奴隷だ。」と少しは言っても許されるのものか・・・是非そう言えるようになりたいものです。

力を渇望してはダークサイドに陥るだけ

思うところあって掲載を見合わせています。楽しみにしてくれた方、どうもすみません。

実在の不確かさについて

11月28日と29日の夜は前日の大雨が夜空の塵を払ってくれたためか、とりわけ澄み切っていてまるで高原で味わっているかのような満天の星空が広がっていました。

ここのところ、多忙で帰りは終電が多くなっていてこの両日もそうでした。
家の最寄りの駅から自宅までは徒歩で10分近く歩いているのですが、その時に夜空を見上げると一つ一つが宝石のような大小の星が無数に天空を占めているのに気付きました。
 
その夜空はダイヤモンドが散りばめられているかのようで、見上げつつ歩を進めていくと世情の喧噪がとても小さく思え、また反対に自然の偉大さ・雄大さに感動を覚え、これこそが摂理であり神なのだと心に響くものがありました。
 
施術院経営という仕事に従事して忙しいというのは、結果多くの人に施術をさせて頂いている機会があるということですから本当にありがたいものです。
昔、勤め人をしていたとき、その時もとても忙しかったもので夜討ち朝駆けのような毎日で労働時間がとても長くしんどいものでした。
今のこの仕事は「労働」とは思いませんが、いつの間にか多忙を極めていた前職の労働時間を超えてしまっていました。
ホームページの更新も全然できず、中にはこのような内容でも「楽しみにしています。」と言ってくれるお客様がいますので、申し訳ないと思っています。
 
さて・・・
一つ一つの星からはそれぞれの波動が光となって地球に降り注いでいます。
星や月からのエネルギーは肉体のまわりにある波動(オーラ)をクールダウンさせて、清浄に導いてくれるという実感があります。
この頃はちょっと寒くなってきていますが、夜一人で夜空を見上げて自然と一体になる無の境地を満喫するのも心身に良い影響を与えてくれることでしょう。
 
白く瞬く夜空の星達を私達は太古の時代から眺め思いをはせてきました。
産業文明が起こって現代のようになったのはここ200年のことであり、さらにこの50年位はネオンライトの人工の光で星が見えにくくなってしまいましたが、私達は生まれ変わって体験している人生そのそれぞれで同じ星たちと出会っているはずです。
 
星はどこにあるのか、はっきりとは分かりませんが、遠く宇宙の彼方に存在しそこから放つ光が数億年をかけて地球に届きそれを私達が星として認識しています。
実際にあるように見える星達もこの瞬間に確かに存在しているものかというと実際は光が届くのに遙かな時間が流れているため既に存在していないものもたくさんあるはずです。
 
このように、実際に見えているものが本当に存在するかというとそうでないものもあるのでしょう。
星を例にとるとわかりやすいのですが、実際に私達が日々の生活のなかで「ある」ものとして認識しているものの中にも実在しないものもあるのかもしれません。
また逆に、見えないから存在しないという認識をしているものの中にも実在するものが無数にあるのだと思います。
 
私達は意識が存在していると認識できるものだけを「ある」ものとして捉えますが、その認識できる範囲は脳という受信機が捉えられる極めて限定された領域・世界だけにすぎません。
 
幼少の頃から私は目の前にあるものは本当に存在するのだろうか、また、私が見ている世界は他の人も同じように見えているのだろうかという疑問を抱き続けてきました。
 
長年の疑問に対する答えは近年分かってきた部分もありますが、肉体という重い波動をまとっている状態ではなかなか多くは分からないもので、いつか肉体という衣を脱いで自由になった日に分かるものがあるだろうと秘かに期待をしています。
  【2008年11月30日】

未来は今ここにある

頭では分かっていてもなかなか実感できないということが時間は幻であるということです。

時間は幻というと何のことか分からない人はまるで分からないのだと思いますが、時間は自分の思考が生み出しているものであり、実際のところ現実に存在するものではないのです。
 
日々の生活で時計の時間を一日に何回も確認してそれに追われるようにやらなければならないことをこなしているのがほとんど全ての人の生き方です。
 
今年の初めの気功治療日誌で「2009年私の流儀」というものを書きました。
その最後のあたりで時間は思考が生み出しているということを実体験を例に挙げて話してみました。
 
過去というのを認識するのは今という場であり、未来のことを思うのは今という場で、それを認識する視点は常に今なのです。
だから今という場だけが真実であり、過去や未来はそこに同時に存在しているものというのが私の認識です。
 
時間だけではなく、空間も本当は存在していない。
「でも現実にあるのじゃないか。」と言われると確かにあるのですが、それはこの3次元という場に限ってはということであり、私達は寝ている間に違う次元に移行したり(それを夢といいます)、またはドラッグや瞑想という形でこの3次元を抜け出すことが技術的に可能であると言われています。
 
私が毎日行っている遠隔療法も埼玉から日本各地の方を癒しています。
空間・距離が関係ない、距離を超越したものがあるということを経験していますので私には時間も存在していないというのも比較的認識しやすいのかもしれません。
 
今日は瞑想をしていたら深いレベルに入り、どうやら未来の出来事であろう光景にアクセスしました。
それは私がこうしたいと思っているものが見えて、ああこのようにしてなるのだとその光景から改めて知ることができました。
 
これは空想か妄想か、その可能性もなきにしもあらずではありますが、自分の知らないことをそこから知ることができたということ、またその光景が白黒のものではなく、総天然色(カラー)で見えたということから、未来として存在しているものを今見たのだと自分で認識しています。
 
未来というストーリーは幾つもあるのだと思います。
コンピュータゲームのストーリーとしてソフトウェアにプログラムされているかのように、今という場に折りたたまれて存在しているのが未来なのでしょう。
 
その未来は私達が何を選択していくかによって異なるストーリーを展開させるものですから、決定的なものではありません。
 
人生は幾つもの選択の連続で、私が未来を見たと認識した光景はその選択肢の内の一つにすぎません。
 
時間の呪縛から逃れるためにまず何をすれば良いかというと、時間に追われないようにすることだと思います。
または時間の常識から逃れることです。
 
時間の常識から逃れることの一例としては、睡眠時間があります。
例えば8時間寝なければならないとか、6時間寝なければならないとか、人それぞれ自分自身の必要睡眠時間を設定していると思います。
それを満たしていなければ翌日眠くなるのではないかと思ったり、疲れが残っているのではないかと思ったりする傾向は誰しもあるのではないでしょうか。
こういったことを意識しないことが、時間の常識から逃れることです。
 
時間に追われて感情的にイライラしてしまうのも、考えてみれば一人相撲をとっているようなものに思えてしまいます。
 
「自分の年齢が○○才だから△△しなければならない」というのも時間の呪縛に他なりません。
自分の可能性を自分自身で閉ざしてしまうのはもったいないことです。
 
私の場合、常に本当に存在するのは意識であり、思考ではないと反芻(はんすう)する習慣を持つようにしています。
時間を生み出すのは思考であるので、この習慣によって時間からの支配の手を緩めることができます。

【2009年5月22日】

先生の手はおじいさんの手

「王様の耳はロバの耳」という言葉がありますが、この意味は「言ってはいけないけど、こっそり言っちゃうこと」だそうです。

「先生の手はおじいさんの手」は言ってはいけないということではないけれど、他ではめったに聞けない不思議な話をしてみたいと思います。
 
先日、あるお客さん(以下、Aさん)が初老のお父様を紹介して連れてきました。
お父様の施術中、Aさんはベッドの脇で私のやることをみていました。
 
後から、Aさんが神妙な顔で私にこうささやきました。
「先生が施術をしていた時、先生の手首から先の手がしわだらけおじいさんの手に変わっていました・・・」
 
なんと、施術をしていた私の手、特に手首から先がおじいさんの手に変わっていたというのです。
 
 
                        「これ私の手、老人の手じゃないでしょ」

この画像のとおり、私の手はなかなか艶やかな手(?)をしているのですがそれがしわだらけの手に変わって、「びっくりしました。」とAさんは言っていました。
 
私は自分の手がおじいさんの手に変わるのは見えないのでわかりませんが、このことは実際には心霊現象として説明が可能です。
 
私が行う気功治療は自分の内気をフル充電してそれを発するタイプの気功と異なり、高次元の主と同調してそのエネルギーを仲介し発していくタイプの気功です。
 
わかりやすく言うと、自分の意識を少しお留守にして別次元の意識体の力を私の肉体に導くのです。
私の肉体に入る意識体は指導霊とも言えるでしょうし、また別の意識体かもしれません。
 
これまで私は自分の背後に仙人か老人がいることをチャネリングや霊査、または霊が分かるお客様複数から聞いていました。
施術中には、その意識体の治癒力をお客様に導くようにしていますのでその霊的影響で手首から先がおじいさんの手に変わったように見えたのだと思います。
 
それでも手首から先がおじいさんの手に変わるなんて信じられないと思う人もいるかもしれません。
しかし、心霊が働くと手首だけに留まらず顔そのものが別物になることもあるのです。
 
交霊会(降霊会ともいう)という言葉を聞いたことはありますか?
多くの人は聞いたことがないのではないでしょうか。
交霊会とは霊媒(霊能者)が幽界もしくは霊界の霊体を自らの身体に憑依させてその霊とクライアントが対話をする催しのことをいいます。
 
霊と語るなんていうとそれだけで怖いと思うかも知れませんが、霊と言っても例えば亡くなった肉親や身近な人が霊媒の身体に降りてきてくれるので死後の生の存在を確信することができるだけでなく、死別の悲しみを癒すことができ、怖いどころかとても感動的な場なのです。
 
この交霊会の時に霊媒の身体に霊体が入ってくると霊媒の顔が変わって見えることがあります。
この顔が変わるというのは霊媒の表情が変わる程度ではなく、まるっきり別物の顔になるのです。
これは実際に見てみないとにわかに信じられないかもしれませんが、「ある」ことなのです。
 
私にもこれと同じような経験があります。
昔親しくしていた友人Bが、どうもずっと昔に仲良くしていた友人Cに似ているなあと感じていたことがありました。
友人Bはしぐさや、私への接し方、呼び方など実に友人Cに似ていたのです。
「なんかよく似ている人もいるもんだ。」とその当時は考えていました。
 
ある日、友人Bと夜道を歩いていた時のこと、私がふと友人Bの顔を見ると友人Bは友人Cの顔になっていました。
「えー、なんなんだ、こりゃ!!」とわが眼を疑いましたが、どこからどうみても友人Cの顔でした。
 
狐につままれるというのはまさにこんな気分なのだと思います。
 
その時だけではなくその後友人Bは私と会うとき時々友人Cになっていました。
程なく友人Bとは疎遠になってしまいましたが、おそらく友人Cは亡くなっており親しかった私に会いにきていたのだと考えています。
 
友人Bは霊媒体質だったので、友人Cに憑依されていたのでしょう。
 
憑依現象も程度によってこのように顔が変わることもあるのです。
私の手がおじいさんの手になったというのもそれと同じようなことと考えてよいと思います。
 
物質、または固体が突然別物に変化する、これは物理学では説明がしにくいものですが私達が実際に目にしている物質は本当はホログラムのようなものでどこかのスイッチが起動すると別物になるものなのかもしれません。
 
さて、施術で別次元の力が働くとどうなるか。
 
Aさんのお父様は私が軽く肩に手を触れただけで肩の痛みがなくなってしまい、「不思議だー」と感心していました。
 
力が働くか働かないかは受け手のお客様サイドの要素も多分に影響するのでいつも同じような結果が出るわけではありませんが、霊界の力を仲介する施術(これを心霊治療またはスピリチュアル・ヒーリングといいます)は驚愕の結果をもたらすことが往々にしてあります。
 

【2009年6月9日】

松井のホームランはUFOにあたるか

みなさん、こんにちは。
今日は10年ほどに遭遇したUFOの話をしてみます。

10年ほど前、私は9階建てのマンションの9階、東南角部屋に住んでいました。
前には荒川が流れているのが見え、遮るものはなく遥か南の方まで見えました。
遠方に池袋のサンシャイン60がかすかに見えていました。
 
仕事から帰ってくると深夜で家族も既に床に入っていて寝静まっている時間帯、私はそれから風通しが良いベランダで気功(内気功)を始めました。
内気功をすると身体に気が充実してみなぎり気持ちが良くなります。
 
ベランダに出て真っ暗な空に向かって気功をしていますと、遥か南から淡い赤色の光の球状のものがゆらゆらと飛んできました。
5機位だったでしょうか。
「ありゃ、なんだろうな・・・」と思いつつそれ程疑問にも思わず気功を続けていると、その内の1機が私が気功をしているマンションのすぐそばで停まりました。
9階よりは少し高い位置で結構距離が間近です。
 
「あっ、止まったよ!」と思い、一瞬ゾワゾワと鳥肌が全身に立つ思いがしましたがすぐに落ち着き気功を続けました。
人の視線でも見られている感覚ってありますよね。
気功をしていながら「おいおい、これって俺が見られてるんだよ。」と何だか表現しがたい複雑な気分だったのを覚えています。
 
距離的に言うとその時思ったのは「松井がホームランを打ったら当たるかな」と思う程の距離でした。
 
5分位か10分位か定かではありませんが、その内に遠くの高いところに行ってしまいました。
 
別に恐怖感もなく、「あれは一体なんだったんだろうな。」と不思議に思った位で、人に話すこともこれまでありませんでした。
変な言い方ですが、何だか自然で怖いものでも特別なものでもないような気がしたからです。
 
内気功の鍛錬はその後も継続していましたが、その赤い光の物体はその後も何回もやってきました。
気功を始めてしばらくすると南の空からゆらゆらと飛んでくるのです。
そして松井のホームランが当たるかどうかの距離に停まります。
日によって2機停まることもありました。
その2機がくるくると小さな円軌道を回りながらこちらを観察していたこともありました。
 
不思議なのはその赤色の飛行物体がそんなに目立つことをしているのに、階下で誰かが気付き騒いでいるのでもなく、通行人が気付いているようでもなく、どうやら自分だけが見ていたようだったということです。
 
今は夜に戸外で鍛錬はしていませんので、そのような遭遇はなくなりました。
今でも何だったのかよくわかりません。
高い確率でUFOというやつなんでしょう。
 
書いていて思いだしましたが、3年位前の早朝に荒川の土手で内気功の鍛錬をしていた時、遥か上空を銀色の飛行物体が飛んでいて、どんどんどんどん上空に上がってやがて消えていったことがありました。
それは私の方に飛んでくることはなく、「あっ、UFOだ」と思った程度です。
気分的には珍しい鳥をみた時の気分と変わりありません。
 
近年色々な書を読んでわかったことにはUFOは映画やアニメのように宇宙から侵入してくるものではなく、次元間移動物体であるようです。(だからユング〔スイスの心理学者〕がUFOの本を書いているのだ!)
そして乗っている存在はおどろおどろしい怪物のようなエイリアンではなく、人間に極めて近い外見の生き物のようです。
実際に会ったことがありませんからそれ以上はわかりません。
本当は会っているのかもしれませんが、私はそれに気付くことはありません。
 
UFOに遭遇した理由についてこうではないかと思うことがあります。
 
気功をすると意識が変性意識状態になります。
日々の気功治療でも術者の私とお客様の意識が同調し、お客様の意識が飛んでしまうことが毎日何回もあります。
気功治療の特長の一つに気の送り手と受け手の意識が同調することがあります。
術後、お客様は「意識がとんだ」とか「意識がなくなった」とか「身体から意識が離れた」とか・・・不思議そうに嬉しそうに感想を述べられます。
時にはその際に普段目にすることのない存在と遭遇することもあります。
当時、私が内気功をしていた時も意識がトリップしてどこか別の次元に足を踏み入れていたのかもしれません。
それ以上のことはまったく分かりません。
 
私たちの身の回りには未解明のものがまだまだ沢山あり、「そんなことはありえない」と心を閉ざさずオープンにしていると、珍しい体験もでき楽しく生きられるのではないかと思うのです。
【2009年9月4日】

神仏との遭遇

先日、施術中にまた神仏と遭遇した人がいました。
施術中、気を受けていると強い力と光を感じ、その中に仏様がいたそうです。
術後、驚いた表情で「仏様とお会いできました。」と言っていました。
 
「よかったですね。きっと貴女のためにお姿を現してくれたのでしょう。」とお話をしたものです。
 
ちなみにこの方は特に信仰している宗教はありません。
当院ではその人の信仰に関係なく、時々神仏と遭遇するお客様がいます。
 
前には「観音様が階段を降りてきました。」という人もいました。
まぶしい光の中に仏様が現われるパターンが傾向的に多いでしょうか。
 
私の施術はスピリチュアル・ヒーリングといって、自分自身の気を発するものではなく自分自身の背後の存在(高次の存在)とチャンネルを合わせることでその力を仲介しているものです。
お客様の持っている条件によって、どの程度その力が作用するかが変わります。
中にはこのケースのように高次の存在がお姿を見せてくれることもあります。
 
見ると言っても肉眼で見ているわけではありません。
施術中には目を閉じて受けてもらっているからです。
この場合は眉間にある第三の眼(サードアイ)で見ているのです。
実際には肉眼で見ているものではないのにも関わらず、カラフルで眩しい光や像が見える人がいます。
そこまで見えなくても眉間にカラフルなオーロラのような光を見る人もいます。
 
このように気を受けた場合の反応は受け手側の条件によって様々なのですが、神仏と遭遇する人達には共通点があるように感じられます。
普通の主婦の方が多いようですが、特に人のために生きている人、人に奉仕をしている人、そういう傾向があるように感じます。
霊能など何もなくても、自分ができることで他人に奉仕をする、人の役に立つ生き方をしている人が神仏と遭遇しています。
霊能力は人格とは必ずしも関係ありませんから。
また、人物的に謙虚で穏やかである共通点もあるように思います。
 
神々もきっとそのような人を愛し、お姿をお見せになるのだと思います。
ひょっとするとご褒美の意味もあるのかもしれません。
 
自分のことばかり考えていたり、常に自分の立場ばかりを主張していたり、損得勘定でばかりが判断基準であったり・・・このようなエゴが強い人にはこのような恩恵は与れないのだと思います。
 
心の中がエゴ(利己)ではなく、利他の精神になっている人はその意識が神に近づいているのでしょう。
 
こうして神仏と遭遇する人を多く見ていると、神は存在するのかとか、神がどこにいるかという議論に終止符が打たれるように思います。
神仏は私達が存在する次元とは異なる次元から私たちを見守っているようです。
見守っているだけではなく、メッセージを伝えてくれることもあります。
 
とかく目に見えるものだけを「ある」ものとして考えがちですが、目に見えるものだけが存在するすべてではありません。
むしろ私達の世界や人生は見えないものの影響を多大に受けているといっても過言ではありません。
世界の成り立ちや偉大さを知るにつれ、人は傲慢になることはできず謙虚にならざるを得ません。
 
術者側も見せようとして神仏を見せられるものではありませんので、今後神仏との遭遇を期待されてご来院されても困ってしまいますが、せめてこの話がご自身の生き方を振り返る契機になれば幸いだと思います。
 
     当院は特定の宗教団体に所属するものでも、特定の宗教を信仰するものでもありません。
 
【2009年12月2日】

苦難は愛へ至る道

人間の人生にはほとんど常に苦しみがつきまとい、かくもみじめな存在かと思うこともあるでしょう。

釈迦(ゴーダマ・シッダールダ)は王子であった時期に民の苦しみを見、人間の生老病死という苦について思い悩み出家を決意しました。

 

なぜ人間はこのように苦しまなければならないのか、神は「苦難は愛へ至る道」だからと言います。

 

人間は神の分霊であり、幾世もの人間での人生経験を通じ意識のレベルを高め神に近づいていくのです。

 

神の本質は愛のエネルギーであり、人間が愛を覚えるためには苦を通らなければ悟れないのです。

苦しみの最中にあって孤独と苦しさと、永遠に続くとも思える暗闇の中にあって神は慈愛を持って私達を見守っています

 

愛のエネルギーを感じるには心に思いやりや温かな気持ちを抱くと胸の辺り(ハートチャクラ)にほんわりとした温かなエネルギーを感じることができるでしょう。

私達が感じられる愛のエネルギーはそれ位のものですが、本当はもっと愛のエネルギーは強烈かつパワフルで、あたかも加速をしているロケットに乗っているがごとく強く温かい力(エネルギー)として感じられます。

 

マザーテレサをはじめ、古の聖人はそのような神の愛の力を目の当たりにして神の実在を悟り、そして神に至るための修行に人生を捧げてきました。

 

私ももっと神の愛を感じたいし、多くの方々にも同じように感じてもらいたい。

人間はみじめな存在ではなく、もともと愛を知っていてそれを思い出すがために今ここにいる「神の子」なのかもしれません。

 

【 2010118日 】

お盆で具合が悪くなる!?

今年もお盆の時期がやってきました。
この時期お休みをとられる方も多くいるのでしょう。
ちなみに私はお盆も夏休みはありません。
重篤なお客様が続いていますのでなかなかお休みを頂くわけにはいきません。
仕事柄これも仕方がないと諦めています。
 
もう一つ、お盆の時期は具合が悪くなる人が多いので休んでいられないという事情もあります。
お盆で具合が悪くなるとはどういうことでしょうか?
 
お盆の時期はこの現界と幽界(あの世)が近くなるためか、あちらの世界の人たちはこの現界の住人(=私たちのこと)にアクセスしやすいようです。
成仏したご先祖様なら問題はないのですが、中には未浄化な存在、この世に未練や執着を残している存在もいるわけで、彼らは現界の私たちの中で同じ波動の人間に憑いてしまいます。
 
また、お墓参りに行く人も多いと思いますが、墓地にも浮かばれない霊が存在します。
お墓参りに行ったは良いけれど、帰った頃には身体がドーンと重だるい、気分が悪い等不調を訴える人も多くいます。
 
お盆時期は他の時期に比べると霊的障害が起こりやすいという訳です。
霊の干渉の程度にもよりますが、塩を身体にパラパラ撒いた位では霊は離れてくれません。
 
そのような時に気功治療で除霊・浄霊をすれば身体がとても楽になることでしょう。
当院の気功治療は施術者の霊的背後(神霊)の力を使ったヒーリングですので、たいていの除霊・浄霊に対応できます。
 
それでは、霊の干渉があるとどのような状態になるのでしょうか?
 
 
・感情が不安定になる。(憑いた霊の感情を自分の感情として汲み取るため)
・不安感が強くなる(憑いた霊の感情を自分の感情として汲み取るため)
・うつ、気持ちが落ち込む、気力の減退(憑いた霊に気〔エネルギー〕を吸い取られるため)
・過食(憑いた霊の影響)
・パニック発作(霊が上背部に憑いている)
・自律神経失調症と言われる症状
・頭痛
・慢性疲労症候群
・めまい、メニエール(霊が後頭部に憑くため)
・のどの違和感(霊が喉もとのチャクラに憑くため)
・動悸
・身体の痛み(肩痛、腰痛、背中痛など)
・肩こり、肩が重い
・眠くて仕方がない
 
 
これだけではありませんが、軽度の霊的干渉ではこのような症状が出てきます。
病院に行けば症状を感じさせなくさせるため薬を処方されますが、原因を解決できていないため根本的な解決にはなりません。
 
上記の症状は私が日常的に施術をしている症状です。
本当は病院で病名が付いている症状も実態は霊的な障害であることが多いのです。
ただ、私はお客様を怖がらせたり脅したりしたくないので、直接聞かれない限りは霊の話はこちらからは致しませんのでご安心下さい。
 
お盆時期、どうも調子が良くないという人は当院の気功治療を受けてみてはいかがでしょうか。
 
ちょっと霊の話をしてしまいましたが、お盆の本来の目的であるご先祖様に感謝をすることを忘れてはいけません。
私たちより先の時代を生き抜いたご先祖様に思いを馳せ、「ありがとう」と感謝しようではありませんか。
 
2011年8月10日

 

私はまだ大丈夫でしょうか?

一昨日ご来院のお客様(Hさん)にあることを言われました。
Hさんは教育事業に携わっている方で幼児から高校生までのお子さんと日々接しています。
「先生はなんか気が変わってきましたね。なんだか3・4歳の子供の気と似ています。」と。
 
私はじき不惑を迎えるおやじです。
そのおやじが3・4歳の子供の気とは、無垢であり、素直であり、天心であるということなのでしょうか。
私はまだまだ自分自身の霊性が少しもできているとは思っていませんのでそのお言葉を頂き意外な思いでした。
 
「3・4歳の子供は何でも敏感に反応します。こちらが考えていることを言葉ではなく心でわかってしまうのです。ですからごまかしが効きません。」と教えて下さいました。
3・4歳の子供はまだ社会に汚されていない分、心が綺麗で鏡のように相手の気持ちが自分に写ってしまうのだろうと思いました。
 
私はお客様のお気持ち、特に辛い気持ちや痛みをできるだけ汲み取ろうとしていますが、どうしても別人格なので同じようにすべてはわかりません。
また、余りにも自分を開放しすぎると、邪気に無防備になりすぎてお客様の辛さをすべて自分に引き受けて施術どころではなくなってしまいます。
それでもできるだけお気持ちをわかってあげたいと思っています。
 
私は難病の方のお役に立てるようもっともっと気の力を高め施術効果を上げていかなければならないと日々自分に言い聞かせています。
そのためには背後の治療神に近づかなければなりません。
振動の重い肉体を持つ人間と、振動の精妙な神霊とは余りにも波動が違います。
そこには大きな波動の違いが壁となって存在します。
そこをいかにして近いものにするか、融和していくかというと、自分を浄化していくしかありません。
 
浄化には肉体的な浄化と心・精神、魂の浄化があります。
肉体的な浄化は今デトックスという言葉が広まっていますが、身体の不要な毒素を排泄し綺麗にしていくことです。
また、身体に有害なものを摂りいれないというのも大切です。
半断食をしていると気功治療日誌にも書きましたけれど、初めて2ヶ月半で13㎏体重が落ちました。
落ちたのを自慢しているのではありません、私はもう少し体重があった方が見た目も良いのでそうしたいのですが、今の食生活ではここまで落ちてしまったということです。
 
心・精神、魂の浄化とは見えないところ、エネルギーの浄化です。
心と精神を綺麗にするにはネガティブな事を思わず、とらわれないことが大切です。
私にとっては怒らない、人のせいにしない、奢らないで謙虚な態度を貫く、どんなことでも感謝の気持ちを持ち続けるなど自分をコントロール、節制することが浄化になります。
 
一方、魂の浄化はマントラ(真言)を唱え瞑想をしていくことです。
私たちが認識可能な顕在意識下にある潜在意識・集合意識のレベルに蓄積されている無形のネガティブなカルマをマントラの力で燃やしていく、浄化していくのです。
 
これはどこまで自分ができているか計数化できませんのでわかりにくいのですが、自分の生活が穏やかで平穏、清浄で温かいものであれば進歩をしていると思って良いのではないかと思います。
 
そういったところでHさんに頂いたお言葉はとても励みになりました。
 
Hさんは気など見えない感覚に優れたところがあるのでそうお感じになったのだと思いますが、私の周りにもHさんのように人の本質を見抜く力を持っている人がいます。
私はその人達に好かれていれば、神様にもきっと好かれるのだろうと思っており、特にその人達との関係を大切にしています。
 
その一人がTちゃんです。
Tちゃんは6歳ですが生まれつき重い発達障害を持っていますので未だ意味のある言葉を発することはできませんし、一人で立つこともできません。
言葉をかけても殆ど反応しません、ボーと宙を眺めているように見えます。
では、反応がないから「この子はわかんないのだ」と思って良いかというと、またそれは違うと思うのです。
私の直観ではTちゃんは発達障害で脳の機能が健常でない分、一般の人にない感覚を持っているように感じます。
言葉をかけても返してくることはありませんが、何か心の奥底まですべて見透かされているように思うのです。
Hさんが3・4歳のお子様と接するときに「ごまかしが効かない」と言ったのと同じかそれ以上で、心だけではなく、魂まで丸裸にされているような気がします。
そんなTちゃんだから果たして私のことを気に入ってくれているかどうかもわかりません。
「あー、あー」という言葉の端々に最近少し笑顔が見られるようになりました。
そのようなところを私は感じ取って、「私は今のままで大丈夫なようだ」と自分自身を計っているのです。
また少し前のことになりますが、店舗を移転して初めて入った予約がTちゃんだったので、応援してくれているのかはわかりませんけれど、「あぁ、私はまだ大丈夫らしい」と思ったものです。
 
もう一人は修行仲間のKさんです。
Kさんは自分自身を「平家の落ち武者」と例える様に、風貌からして少し変わっています。
サティア・サイババにも何回か会ったことがあるそうです。
サイババに会うにはサイババに呼ばれなければ会えないのです。
それだけ魂が綺麗で霊性が高い人だと思います。
サイババだけではなく、Kさんの周りにはなぜか不思議な人が集まります。
Kさんは今まで2人空中を飛べる人と会ったと言っていました。
「へぇ~!?」という感じですが、嘘をつく人ではありませんのでおそらくそうなのでしょう。
私などは一度もお目にかかったことがありません。
宙に浮かぶ人だけではなく、何もないところからものを取り出す物質化を自由自在にする人とか不思議な人が集まります。
当院には「仙台四郎」さんを福の神としてお祀りしていますが、仙台四郎さんの写真を見ると「う~ん、Kさんにそっくりだ」と思ってしまいます。
私はKさんと会うのをとても楽しみにしているのですが、おそらくKさんも楽しみにしてくれているのではないかと思っています。
私の心に奢りや邪心が芽生えたら、Kさんと会うのはできなくなると思います。
Kさんと会って不思議なお話をする機会がある間はまだ私も大丈夫なのだと思います。
 
最後の一人が仙台四郎さんです。
仙台四郎さんは故人ですからお会いすることはできません。
笑っている写真が当院に飾ってあるだけです。
仙台四郎さんは生前から生き神様です。
生き神様だけあって、相当心が純真で綺麗なのでしょう、写真の笑顔も溢れんばかりの笑顔です。
笑顔の写真だからその表情は変わるはずはないのですが、私が仙台四郎さんにご挨拶をすると実際に笑っていてくれているように思うのです。
生前の仙台四郎さんは人の本質を見抜く力があり、仙台四郎さんがふらっと立ち寄ったお店は大繁盛をしたそうです。
その店の雰囲気か店主の持っている何かを感じたのでしょう。
その一方で、「四郎さん、おいしいものをご馳走しますからうちに来て下さいよ。」とお招きしてもそっぽを向かれ素通りされた店は自然と傾いていったと伝えられています。
私は仙台四郎さんから感じる笑顔の感覚、それがある間は大丈夫なのだと思います。
 
【2011年9月18日】

ご愛読いただきありがとうございます。
また、どうぞお訪ねください。

 

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