気功治療・遠隔治療の専門院 外気功療法さいたま院、埼玉県

 

 
 
 
 
 

 いかにして最期の時を迎えるか

 

「大往生したけりゃ医療とかかわるな~自然死のすすめ~」というこの幾分センセーショナルなタイトルを持つ本が売れているようです。
私が読んだときは発売早々の時期で売れ行きは分かりませんでしたが、読んでみたらて同意できる点が多くユニークだと思いました。
 
この本を書いたのは中村仁一氏で、特別養護老人ホームの常勤医師です。
つまり、医師である人が現代医療に対して警鐘を鳴らしている訳です。
中村氏の特殊な点は病院と異なり死が近い老人ばかりを診ているというところです。
また、近代的な機器・設備が整っていない特別養護老人ホームの医師ですので、十分な治療をしたくてもそれができないという環境にいるという点も一般の医師たちと違うところです。
つまり、本来は少しでも寿命が延びるようにできる限りの治療をすべきというのが病院の発想なのですが、それをしたいにも関わらずできない、それが却って多くの老人の自然死を看取る結果になり、その姿こそが人間の本来の枯れ方、逝き方なのではないかと体験的に提示しているのです。
 
私たちの一般的な発想として、1%でも生存の可能性があればできる限りの治療をすべて受けるというものがあります。
患者本人もそうですし、ご家族もそう考えます。
しかし、そのために生存の望みが薄いのにも関わらず散々に治療をしてボロボロになりながら死を迎えなければならなくなります。
ある程度の段階で治療を見切る勇気を持てる人はそうはいないと思います。
 
それに対して自然死を迎えるというのはどのような経過になるのでしょうか。
自然死というのは主に下記の4つに分類されます。
 
1. 飢餓
2. 脱水
3. 酸欠状態
4. 炭酸ガス貯留
 
これらは一見大きな苦しみを受けているように思うかもしれませんが、ある段階まで進行すると脳内モルヒネが出て気持ちよく夢うつつのように無事死んで行けるのです。
酸欠状態で死ぬなんてさぞ苦しかろうと思ってしまいますが、炭酸ガスには麻酔作用があり酸欠状態下で脳内モルヒネが出て気持ちよく死んでいけます。
柔道の絞め技で落とされた人は同じように酸欠状態になって気絶するのですが、一様に気持ちよかったと言います。
昔、ライオンに襲われ食い殺された人がこの世の人(霊媒師)と霊界通信をした際に「食べられているとき気持ち良かった」と述懐していた話もありました。
何もしない自然死の場合は脳内モルヒネ分泌という身体が本来持つ非常措置が発動するのですが、治療を色々としてしまうとそれすらも働かなくなってしまい無用の苦しみを受けなければならなくなります。
 
死に近い人はもう食べる必要はないはずですが、食欲が減退しているとみればお付き添いの人(看護師・介護職員)は無理にでも食べさせようと食べ物を口に入れてきます。
食べなければ栄養が不足するからとか、カロリーが不足するからという一般的な栄養学の常識に捉われているからそのようにしてしまいます。
飲み込む力も衰えていますから誤飲を起こすと管を鼻に突っ込んで吸引をしてくれます。
これなどもやられる方にしてみたらとんでもない二重の苦しみを受けることになります。
口から食べられなくなれば鼻チューブ栄養になることが多いのですが、これなども相当苦しくストレスになります。
余りに苦しいのでそれを引っこ抜こうとしますが、それをされては病院側は困りますから患者の手にグローブのようなものをはめて手をベッドに拘束するのです。
これは見ているだけで痛々しいものです。
鼻チューブ以外では、胃瘻(いろう:腹部に穴を開け、そこにチューブを通し水分や栄養を補給する方法)をすることになります。
脱水の場合は、点滴によって水分を補給します。
小便が出なければ利尿剤を用い、血圧が下がれば昇圧剤で無理やり血圧を上げようとします。
自然死へ進む過程で現れる身体の退行に病院の治療は無理やり逆らおうとするのです。
枯れようとしている植物に水や肥料を与えても吸収しない様に、枯れ行く人間も外部から栄養を補給しても吸収する力も既に衰えているのです。
患者本人の意思とは裏腹にそのような状態でも少しでも生きてほしいというご家族の意思によって地獄の様な苦しみを最後の最後で経験しなければならなくなります。
意識が遠くなって反応しなくなってくるのも、死の不安や恐怖から守ってもらっているのだと思います。
 
三宅島では先進医療はありませんから栄養を摂らずに横たわる人に水だけを与えて静かに看取るしかないそうですが、それこそが穏やかな死を迎える方法です。
また、フランスでは老人医療の基本は本人が自力で食事を嚥下できなくなったらその時点で終わり、後は牧師の仕事ということになっています。
食べられなくなったらお迎えが来るのももうすぐと考えた方が良いのです。
 
がんの最末期はそれこそ日本各地でいわば無駄とも思える延命治療が行われていますが、中村氏はがんであっても無治療であれば3人に一人は無痛で亡くなっているといっています。
若い人の場合もそうなのか、老人ががんで枯れていく場合だけなのかどうなのかはわかりませんが、でも病院での治療は患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を無視し、苦痛を取るために別の苦痛を与えているように私には思えてしまいます。
そのような人を私はたくさんこれまで看て来ました。
 
このような背景には現代医学の治療法や制度にも問題があると思います。
それだけではなく患者の側からも現代医学に対する妄信的な信頼を見直す必要があるでしょう。
中村氏は現代医学に対する信頼度テストを同書に載せています。
それは、
 
 薬を飲まないことには病気はよくならない。
医者は病気のことなら何でもわかる。
病気は注射を打ったほうが早く良くなる。
よく検査するのは熱心な良い医者だ。
医者はプロだから自分に一番良い治療法を教えてくれるはずだ。
大病院ほど信頼できる良い医者がたくさんいる。
入院するなら大病院、大学病院の方が安心できる。
外科の教授は手術が上手い。
マスコミに登場する医師は名医だ。
医学博士は腕がいい。
リハビリはすればする程効果がある。
 
・・・というものです。
これに当てはまる人程現代医学を妄信しているということになります。
つまり、現実は上記のことにすべて反しているということです。
それぞれの理由については紙面の都合上載せませんので、よろしかったらこの本に理由が書いてありますから買ってご一読されることをお勧めします。
そして、自分自身のためにも苦痛の期間を延長するだけの無駄な治療をしないという発想を確固と持つようにしましょう。
年をとればピンピンコロリと逝けるのが理想に思えてきます。
老衰で眠るように死んでいったというのは、何も病院の治療をしない場合のがん死ではないかと慶応大学の近藤誠先生が言っていました。
自然ながん死は私たちが思う程辛くはないのかもしれません。
しかし、大半のがん患者は病院で3大療法(手術・抗がん剤〔化学療法〕・放射線療法)を長きに渡って受けてズタボロになって亡くなっていきます。
終末期のがんは治りませんので無益な治療を受けないというのは一つの選択肢と思います。
ホスピスの疼痛のコントロールは進歩しておりそれらと気功治療を併用していきながら終わりを迎えるのが良いのではないでしょうか。
 
どのような死に方をするかどうかも、その人の生き方が大いに関係している様に思えて仕方ありません。
エゴ中心で自分勝手な生き方(我善し)の生き方をして来た人は認知症になりやすいと聞いたことがあります。
病気の際に肉体に感じる痛みは心の痛みが現れているものと私は思います。
それはこれまでの人生で溜めてきたネガティブな感情や過去世からのカルマなのでしょう。
損得勘定を捨て、思いやりと愛を持って周りの人達と調和を図る生き方が正しい生き方ではないかと思いますし、そのように生きてきた人は自然に枯れるように亡くなっていけるのではないでしょうか。
 
気功治療(ヒーリング)は現代医学と同様に最末期の人を蘇生させることは基本的にはできませんが、精神的な不安や恐怖を和らげたり苦痛を緩和したりすることができます。
こうした最末期の人の施術を求められることはよくあります。
私はまたこれからも多くの人の旅立ちを看て行くのだろうと思います。
 
参考 : コラム「死についての誤った認識
参考文献 : 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一)幻冬舎
【2013年3月24日】

 

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