気功治療・遠隔治療の専門院 外気功療法さいたま院、埼玉県

 

 
 
 
 
 

気功治療日誌 ~ 気功治療 の現場で ~


日々の気功治療の際に感じたことや治療に関係なく思ったことなどを徒然に綴っていきます。
中には「こんなこともあるのか」とビックリされることもあるでしょう。
また、他にはない視点の情報を知っていて良かったと思えることもあるでしょう。
少しでも皆様の共感を覚えるところがあれば幸いです。

 「気を信じていないのですが・・・」そんな人が来た時は
 
Tさんのご他界
 
ただ普通の生活を望むだけ
  
Sさん(72才)・頭痛の気功治療のご感想
 
それでも私は笑顔でいよう
 
仙人と会ったOさんの臨死体験談
 
憤死
 
ありがとうございます

 気功療法は身代わり行
  店舗移転の本当の理由
 手の痺れ

「気を信じていないのですが・・・」そんな人が来た時は

施術院でよく頂く質問にこのようなものがあります。

主婦「お陰様で私はすっかり元気になりました。ここに来て本当に良かったです。ところで、主人は○○の病気なんです。先生のところに連れてこようと思っているのですが、全然気を信じていません。そんな人でも大丈夫でしょうか?」
と、いうものです。

その答えは2通りあります。
1つ目は、気を信じていないけれどもそういうものもあるのだろうと受け入れる姿勢を採る場合は、気を術者が送っても普通に気が通るでしょう。

2つ目は、気を信じていないし、また気を送られても受け入れるつもりがない場合は、気を術者が送っても受け手には気が余り通らないでしょう。「気―??、そんなもんあるかよ!」という訳です。
このように、気功治療は受け入れる側の姿勢によって反応も異なってくるということです。
 
私の印象では40才以上の男性に気を信じていない人が多いようです。
そもそも、ここでいう「気を信じる」というのもおかしな言い回しで、それは現実に「ある」ものについて「信じる」「信じない」という論点になっているからです。
正確に言えば、「気を知覚できないけれど」という表現が正しいのです。
 
気を信じていないということは「気は存在しない」と信じていることになります。
そうなると私のような気功治療家は一体何をしていると思われているのでしょうか?
気功教室を開いて受講生の健康増進に頑張っている気功の先生方は一体何をしているのでしょうか?
えっ、まさか人を騙して生計を立てている連中だと思っている・・・?
 
気は生命エネルギーであり、すべての人間がそれを使って肉体を維持し、生きているわけです。
気(生命エネルギー)がないのは死体だけです。
自ら気を使って生きているのに、「私は気を信じませんから・・・」という人は、テレビが映っているのに「電波なんて信じません。」と言っているに等しいと私は思います。
 
さて、先述の奥さんの心配は数日後このような場面として現れます。
奥さんは自分が良くなったから病気のご主人を無理矢理連れてきたはいいけれど、そこでご主人が「私は気を信じませんから・・・」と来る訳です。
(では、なぜ奥さんは病院で長年治らなかった症状が治ったの?・・・それも気のせい?それとも勝手に治った?)
私は「信じない」というものを信じてもらおうとは思いませんが、ご紹介いただいた奥さんの顔をつぶしたくないので一応は「気というのはですね・・・」と気についての説明をします。
それを怪訝そうに腕組みして「俺は騙されないぞ」と聞いています。
信じなければ信じない程、「見えない身体」(オーラ)が拒絶のバリアーを張りますから一層気は通らなくなります。
こちらも「もう、知らない。」と匙を投げたくなります。
 
気は生命エネルギーであり、意識のエネルギーで、術者の意識が反映されているものです。
気功治療の結果は術者と受け手の意識の状態にも大きく影響を受けます。
受け手がおおいに気を受け入れる姿勢をもっていると、術者との意識の感応が起こり気は良く通ります。
その場合は、病気の経過が非常に良くなる場合が多くなります。
一方、受け手が気に対して拒絶感を持つと、術者と受け手の間には当然感応は起こりませんから気は余り流れません。
自ずと病状は余り変化しないということになります。
 
 
また、「気は科学的ではない・・・」という人もいますが、このような人に限って科学とは何か分かっていない場合が多いようです。
世の中には科学では計り知れないものがたくさんありますが、特に意識や魂、気というものは計測が困難なために科学の範疇外のものされ、科学と対立的位置付けにある宗教で扱われます。
大体一般の人が言う「科学的ではない」という意味は「学校で習わなかったぞ」位の意味でしか言っていないように聞こえます。
科学的に立証されているものして教わったものを通常そのまま脳にインプットする(暗記)するので、いちいちその立証過程を自ら再検証することもないにも関わらず、科学として学んだものはあたかも自らがその成立過程を立証したかのような錯覚を覚えているのです。
 
科学について話しすぎると本稿の主旨にそぐわなくなりますからこの辺で話を切り上げますが、その昔科学が誰によってどのような経緯・意図で成立されたかはほとんどの人には知られていないことなのです。
科学の発展は人類社会の発展に大きく寄与したところがある反面、霊的な進歩を極めて抑制することになりました。
科学の成立にはかなり歪曲した意図が見え隠れしているように私には思えてなりません。(詳しくはいずれ別の機会に・・・)
 
それゆえに「気を信じていない」とか「科学的ではない」とか言われると、無知であるから仕方がないなと思う反面、科学教のすり込みはこれほどまでかと思ってしまいます。
 
さらに、気を信じない人は不滅の魂とか、輪廻転生も信じていないでしょうから、そのような人が他界するとうまく霊界に昇華できず、幽界の低い次元(低層4次元)に捕らわれになるのではと危惧してしまいます。
そうなるといわゆる地縛霊になって、いつまでも現界での苦しみから逃れられなくなる可能性が高まります。
 
無知による頑迷には悲しいものがありますが、人それぞれ気付きの時期は異なります。
気を信じない人が素直に気功を受けることで気があることを分かってくれれば、私も一人の救いに貢献したことになるのでしょうか。

Tさんのご他界

遠隔治療を続けてきたTさん(女性)が一昨日他界されました。

両方の肺にがんがあり、それが骨盤に転移し、呼吸困難と腰・股関節の激痛に苦しんできました。
ご依頼頂いた時には自宅療養中でがんも末期の最終期を迎えていた時期で「どこまでできるかわからないができるだけのことはしよう」と思っていました。
 
息子さんとの電話で「昨日病院に行ったところ、そこで病状が急変して・・・」ということでした。
 
施術9回でこれまで辛かったがんの骨盤転移による腰や股関節の痛みがなくなっていましたので、「ひょっとしたらこれから持ち上がっていくかも」と思った矢先の時で残念でなりません。
病院は未浄化霊が多いので「ひょっとしたら憑かれて持ってかれてしまったのかも」と推測もしましたが、「寿命だったのだ」と思い直し過ぎたことは考えないようにしました。
(病院に行くと具合が悪くなる人が多いというのは、この理由の可能性が高い。)
 
肺がんは死が間近になってくると特にきついのです。
Tさんは満足に横になることも適わず、疲労して食事もとれない状態で電話口から聞こえる声もとてもしんどそうなものでした。
それでも弱々しいながらもどこか温かみのある声で話され、自分がしんどいのにも関わらず術者の私を思いやってくれる、そんな気遣いの人でした。
 
気功治療は感情移入できると力が強くなります。
遠隔治療の時は、「何としても良くなってほしい」という気持ちがいつもより自然と発露して大きな気の流れが写真のTさんにどんどん吸い込まれてTさんの身体に巡っていくのがわかりました。
 
「気功をやってもらっているときは楽で、気持ちが良くって・・・」とTさんは毎回電話で感想を言ってくれました。
 
息子さんからも「母がいつも楽しみにしていました。ありがとうございました。」と言われて、「Tさん、そんな楽しみにしてくれていたのか」と嬉しく思う反面、寂しく残念な気持ちがそれを上回っていきました。
 
そしてTさんの遠隔治療に使っていた写真を取り出し、しばらく心を静めてからTさんに語りかけました。
 
「Tさん、お疲れ様でした。最期の方は大変でしたね。でももう肉体はありませんから苦しくないでしょう。これから少しそこで疲れを癒やしたら迷わずに上がっていって下さいね。これから新しい生が始まるのですから。Tさん、ありがとうございました。」
 
肉体をまとっている私達は他界し幽体になった魂の言葉は聞こえませんが、こちらの言葉は聞こえています。
また、こちらの思いも伝わります。
Tさんが迷わず上がっていってくれて、本当の意味で楽になってくれることを祈るばかりです。
【2008年12月12日】

ただ普通の生活を望むだけ

最近立て続けにうつ病と自律神経失調症のお客様から同じことを言われました。

お二人は共に女性でもう病歴が10年に及ぶかどうかというところ、長年病に苦しんできた方々です。
 
「私は特に金持ちになろうとか、大した欲もなく、ただ普通に平凡に生きたいと思っているだけです。それなのに(病気で)それが叶わない・・・」と悲しんでいらっしゃいました。
 
強欲・傲慢、利己主義の塊のような人が病気になるのなら分からないでもないけれど、ただただ普通に平穏に暮らしたいと望む主婦の望みはなぜ長年叶えられることがないのでしょうか?
 
スピリチュアルの本を読むとよく書かれていることに「病気は自分で招いたもの、生き方が間違っているサインです。」というような類のことが書かれています。
確かに私もそのように思っていた時期がありましたし、そのことが該当する方も確かにいるのです。
病気になったのは自分の心の中がネガティブな思いで一杯になり、そんなエネルギーが自らの身体を壊していくというパターンです。
確かにこのパターンは非常に多い。
しかし、多くのお客様を日々診るにつれ思うことは、必ずしもそればかりではないなということです。
 
利己主義のかけらも感じ取れず、むしろ家族や他人を思いやる気持ちが強くて人間的に人格的に素晴らしいなと感じられる方でも病気になっています。
なぜこんな方が病気になってしまうのか?
病気の原因を探るのはとても深く難しいことで、それがいつもいつもわかるわけではありません。
 
しかし、大したことを何も望まず、ただただ普通に健康に家族と暮らしていきたいというささやかな望みを持つお客様の気持ちに触れるにつれ、何としても元気に健康になってもらいたいと強く思うのです。
病気の原因がたとえ分からずとも、元気になってもらいたいという私の強い思いが病魔を退散させることでしょう。
 
幸い今のところ経過は順調です。
「最近では感じられたことがないくらい体調がいいです。」というご感想を頂いています。
この調子で回復していってほしいと祈っています。
【2009年1月30日】

Sさん(72才)・頭痛の気功治療のご感想

2~3年前から頭痛に悩まされています。
病院でMRI検査をすると小さな梗塞があるものの、「異常がない」といわれる。
(「異常がない」のではなく、「異常がわかりません」というのが本当のところですが)
特にホッとした時に痛みがツツーと走るという症状です。

Sさんは霊感がある方で、当院の気功治療を受けた時に次のような霊視を見たそうです。
 
         「70~80才の男性が白い息を吹きかけている。それを何回か繰り返している内に
   頭痛が楽になった。違う人が眼を見ていた。」

         「お腹の黒い塊が目の前に出てきて灰色に薄くなっていった。それが散り散りになっていった。」
 
         「頭に気を送ってもらっている時、真ん中は白いのだけれど、周りに一杯拝んでいる人(僧)が出てきた。」
 
「70~80才の男性」って誰なのでしょうか?
以前にも複数の人がこの男性を見ています。(内、2名は仙人と言っていました。)
 
すべての人が同じような感覚を得られるものではありませんが、Sさんに限らず霊感の強い人は色々な霊視を見ます。
当院の気功は自己練成型の気功ではなく、仲介型の気功で高次元のエネルギーを導いて病を癒す方法です。
私は施術中にはできるだけ自己を無にして背後の霊団が働きやすいようにしています。
 
当院は気功と看板を出していますが、心霊治療と言っても良いし、スピリチュアルヒーリングと言っても良いのです。
ただ心霊治療もスピリチュアルヒーリングも一般的知名度がないので気功と看板を出した方がお客様に分かっていただきやすいという事情があります。
 
私はお客様が良くなっても自分が治したとは微塵も思っておらず、背後霊団のお力であると考えていますので、背後霊団に感謝の意を絶やすことはありません。
 
こうしたスピリチュアル(心霊)な世界のことに抵抗がなさそうな人には、「私に感謝するのではなく、背後霊に感謝をして下さいね。」とお話するようにしています。【2009年2月5日】

 

それでも私は笑顔でいよう

先日久しぶりにAさんから電話がきました。

「先生、お久しぶりです。」といつものような福島なまりの気さくな声が電話越しから聞こえました。
今日はどうしたのかなと思っていると、「実は・・・お世話になりました兄が昨日亡くなりました。」とAさんは言いました。
 
Aさんのお兄様Hさんは脊髄小脳変性症という難病を患っていました。
 
脊髄小脳変性症とは、脊髄と小脳の障害によって身体の運動機能が徐々に奪われていく病気です。
例えば箸がうまく持てないという日常の些細な症状から始まって、まっすぐ歩けない、すぐに転ぶというように平衡感覚を失っていきます。
それから下肢の動き、上肢の動き、発声、嚥下など少しずつ少しずつ身体の自由がなくなっていき、最後は寝たきりになってしまいます。
そしてその後は死に至る原因不明の病気です。
 
運動機能を司る小脳は衰えていっても大脳ははっきりしているため、自分の身体の自由がなくなっていく様子が分かります。
身体の機能が徐々に失われていっても意識はしっかりとある、まるで動かない肉体の中に意識が閉じこめられているようなものです。
 
それだけにその苦悩は計り知れないものがあり、以前愛知県の木藤亜也さんがその闘病記を綴った「1リットルの涙」(幻冬舎)は有名で、ドラマや映画にもなりました。
もしよかったらご一読ください。オススメです。
 
さて、そのHさんですが地元の福島県からお身体が不自由な中、弟のAさんの勧めでさいたまの当院まで施術を受けにきてくれました。
今までも脊髄小脳変性症の方は何人かみていますが、Hさんの場合はかなり進行しており一見して「これは大変そうだな」という印象を受けました。
既に上肢・下肢の自由はなくなっていました。
 
舌も動かなくなっていましたから何を話しているか正直さっぱり聞き取れませんでした。
Hさんの話している内容を理解できるのは長年連れ添った奥様だけでした。
こう言っては失礼かもしれませんが、「アーアー、ウーウー」という声ではなく音にしか私には聞こえませんでしたが、そこは夫婦の絆の深さなのでしょう、奥様は「こうなの?ああなの?」と聞き返すことはしますが、それでもほとんど正確にHさんの言葉を理解されていました。
 
「なぜそれで理解できるのか!?まるでテレパシーじゃないか!」
それを見て「ああ、真に心が通いあっている凄い夫婦もいるものだ」とその夫婦愛に感動してしまいました。
 
Hさんは既に身体の自由がほとんどありませんから、仰向けに寝ているか、車椅子に座っているだけという状態です。
したがって施術もその状態でしなければなりません。
 
私の施術を受けたことがある方はお分かりだと思いますが、外気功はお客様の身体に触れずに気を送り症状を改善していく療法です。
外気功をする時には精神を統一し、私は身体の前で手を回しながら気を送ります。
 
ところが・・・
このHさん、大変な笑い上戸で「ウッハッハアー、ウッハッハアー」と大笑いです。
「エッ!これが、そんなにおかしいの?」
これまでお客様にその動作を笑われたことがなかったので、思わず私もつられて笑ってしまいました。
「集中してできないよ・・・トホホ・・・」というわけで、触れて気を送っていくことに。
 
奥様が「この人、すぐに笑うようになったのです。」とすかさずフォローを入れてくれました。
確かにテレビを見ていてもよく笑うし、私と奥様の会話を聞いていては横で笑っています。
 
Hさんは身体は動かないけれど常に笑顔を絶やさない人だったのです。
 
最初は普通の人のように何不自由なく身体が動いていた人が、徐々にその自由を奪われていくとはいかばかりの心境でこれまで過ごしてきたのでしょう。
私にはその苦悩の深さは想像もつきません。
身体の自由がなくなっていくので、当然仕事もできなくなり退職しなければなりませんでした。
それからは家族の世話になる日々で、しかも家族にかかる負担は増していくばかり。
しまいにはトイレも自分で行けなくなりましたから下の世話までも面倒をみてもらうのです!
 
「今は何も自分ではできなくなった自分がいる、そして時が経つにつれ益々身体の自由は奪われていく」
この受け容れがたい事実を受け入れまでにどれだけの葛藤があったかわかりません。
その心境を木藤亜也さんの本、「1リットルの涙」というタイトルが物語っています。
 
辛い辛いと愚痴をこぼす私達の苦労などHさんの前では吹けば飛んで行ってしまう程軽いものです。
想像もできないくらいの苦悩の末にたどり着いたのが、常に笑顔を絶やさないことだったのです。
 
「既に私には何もできない。でも笑顔で周りを明るくすることだけはできる。」
 
そのことをHさんは人生終盤にさしかかった時に心に決めたのではないでしょうか。
 
私たちは五体満足で生きていても心の中はいつも不平不満の塊で、なかなか今あるものに対して感謝の念がむきません。
不平不満ばかりこぼしていて人に笑顔を向けるゆとりはとうていなく、いつもブスーとしかめ面をしています。
果たして今日は何回人に笑顔を向けることができたでしょうか。
 
Hさんとお会いし、高僧でもきっと及ばないであろう偉大な魂を感じ、「世の中には凄い人もいるものだ」と心を打たれました。
 
結局、Hさんには4回施術をさせていただきました。
指が良く動くようになったり、腕が肩口まで上がるようになったり少しではあるものの改善がみられました。
夜寝るときは痰がからんでゼーゼーいっていたのが、それもなくなってよく眠れていたそうです。
 
しかし、4回目の施術の後にこれまでも時々起こっていた誤飲性肺炎を起こして入院してしまい、それから故郷の福島に帰られました。
 
「また、来ますから」と言っていましたが、きっとまた病気が進行していたのでしょう、それからHさんとお会いすることはありませんでした。
 
神様がなぜHさんに脊髄小脳変性症という大変な試練を与えたのかは分かりません。
しかし、Hさんは病気を治すことはできませんでしたが神様が与えた試練はクリアしたのだと私は思っています。
きっとあちらの世界で自由になったHさんは「よく頑張ったな。」と神様に褒められているに違いありません。
【2009年2月11日】
 

仙人と会ったOさんの臨死体験談

12月になると街はクリスマスのムードが高まり幾らか華やかで楽しげな雰囲気になります。
そんなクリスマスが終わって、急に年越しのムードに切り替わり穏やかな雰囲気になる、そんな頃の話です。
 
もう随分前のことになります。
 
ちょうどその頃、私は出張療法で都内のK大学病院に胆のうがんのお客様(Oさん)の施術で出かけていました。
Oさんは既に末期の末期を迎えており、がんの進行がかなり進んで強い痛みがOさんを苦しめていました。
 
Oさんは外科に入院していたため、腸閉塞の改善や、なにかの管を体内にいれるために、その都度何回かの手術を重ね、健常者でもこう頻繁に手術をしては身体がもたないだろうと思われる程で、とても自己治癒力でがんの進行を食い止めたり、がんを縮小させていくような気力・体力は残っていない状況でした。
 
外科は本当によく身体を切り刻みます。
治る見込みがないのであれば痛みを緩和させるような治療をすればよいと思うのですが、手術を安易にしすぎる傾向があるように感じられます。
 
手術の効果が一時的・限定的としか思われず、かえってそれが患者の体力を奪い衰弱を進めているようにしかみえません。
 
私が出張で病室まで出向き、施術をしても外科的治療に足を引っ張られているようで痛みを緩和することができても回復は難しい状況になっていました。
 
それまで何回か出張療法を重ね、その日は確か19時から胆のうがんの施術をしていました。
しかし、状況からしてもう余命がいくばくもないような感じで既に意識も失っていました。
 
20時に施術が終わり、京浜東北線にのって店に戻りました。
その頃は自分の限界近くまで施術を受け付けていて、夜遅くまで施術をしていました。
その日もあと一人お客様の予約がありました。
 
21時頃店につくと、Oさんのご主人から電話が入りました。
 
「心臓が弱って、家内の心臓が止まってしまいそうです。どうか助けて下さい。」
 
今夜が山場だと主治医の先生は言ったそうです。
予約が入っていたお客様に事情を説明し、急いで再度K大学病院に向かいました。
着いた頃は夜の23時頃、急遽心臓の機能が回復するよう施術をしたところ、心臓はなんとか持ち直してくれて安定するようになりました。
意識はまだありませんでしたが、病室に泊まりこんでいたOさんのご主人に挨拶をしてその日の終電で帰宅しました。
 
翌日、またOさんの施術のため病室に伺うとOさんは意識を取り戻し普通に会話をしていました。
前よりも元気になったご様子に私も嬉しさを隠せず、「良かったですね。」とOさんとご家族の皆様と歓びを分かち合いました。
 
すると、Oさんは昨夜不思議な体験をしたと話し始めました。
 
昨日の1回目の施術の時、意識はありませんでしたが、私が施術を終えて病院から駅に向かって歩いているのを見ていたというのです。(死の直前になると意識が時間と空間の壁を超える現象が起こります。)
 
それから上の方に上がっていき、何やら雲の上のようなところに行ったそうです。
そこは人々が行列を作っていて、何かの順番を待っているかのようでした。
 
Oさんもその列に加わり、順番を待ち、やがて自分の順番がまわってきました。
 
そこには仙人のような人とその従者が両脇におり、審判を下していたそうです。
 
その審判とは霊界にいくかどうかの審判で、霊界に行く人には「こっち」と右に誘導していたそうです。
まるで話に聞く閻魔大王のようです。
 
Oさんは仙人と対面すると、Oさんは仙人にこう言われました。
 
「貴女にはまだ役目がある。」
 
そして、現界に戻るよう話をしたそうです。
 
さらに、仙人は「水野さんを呼んでくれ。」と従者に言い、従者は何か手配をしていたそうです。
 
私がその日の2回目の施術に呼ばれたのはOさんのご主人からの電話でしたが、Oさんのご主人をそのような行動に移らせたのは、その霊界の従者のお導きがあったからかもしれません。
 
私はOさんのご主人のご依頼で再度病院に赴き、心臓の施術をしたのは先述の通りです。
Oさんは気付くと意識が自分の身体に入っており、意識を取り戻したということです。
 
その話をOさんのご家族と聞いて、ご家族の皆様は私のことを「スゲー」と言っていましたが、私は「こうして気功の施術に当たらせていただいているのも、やはりあちらの世界の意思があってのことなんだろうか。」と思ったものです。
 
それにしても、私のことを「さん」付けで呼んでいるとはまた面白いものです。
 
夢のような話ですが、臨死体験をして三途の川を渡るかどうかという経験をした人は私のお客様の中にも時々いて、不思議と似通ったシーン(場面)を語りますので、あながち夢とも言えず意識が肉体を離れたあとはそのような道を辿るのかもしれません。
 
死後の世界観はお国柄や宗教によって異なっていますが、一定のバックグラウンドを持つ人達は似た世界観をもっているようです。
 
Oさんは明るい笑顔でこう語りました。
 
「水野先生、死ぬのってこんなに簡単だとは思いませんでした。」と。
 
意識が肉体を離れるときは全然苦しみも痛みもないそうです。
 
確かに肉体から意識が離れるまでの外科的処置は相当辛かったと思うのですが、意識が肉体を離れる時は想像以上に「簡単」なのだそうです。
 
Oさんの場合は緩和ケアがきちんとされていればもっと楽にそれを迎えられていたに違いありません。
 
その後Oさんは一旦退院をして1ヵ月程ご家族と最後のひと時を過ごした後に、再度霊界に旅立たれました。
 
この話からわかることは、「は役目があるうちは死なない」、「死ぬことは簡単である」ということです。
 
人はそれぞれ何らかのお役目・使命をもってこの世に生を得ていると思います。
それは革命を起こすとか、事業を起こすとか、何かの記録を達成するとか社会的な価値観・評価基準には当てはまらないことのようで、日常生活の目の前のささいなことや一見価値がない雑事の中に埋もれているように思います。
 
人はそうして何十年かの生をこの世で体験し、お役目を果たし終えてこの世を離れていくのでしょう。
 
【2009年12月6日】

憤死

普段来院するお客様から来院動機を聞いていますが、時折聞くのは「今まで通っていた気功の先生が身体を壊された(または死んでしまった)ので、他の所をと思いこちらに来ました。」ということです。
 
世間ではあまり知られていませんが世の気功治療家は早世な人が多いのです。
また、意外と身体をおかしくしている人が多いものです。
なぜなら、お客様が楽になって満足する分、治療家がお客様の邪気を受けているからです。
 
多くの病気・症状の原因は邪気というネガティブなエネルギーです。
しかし、このことを知っている人は世の中でとても少ないのです。
 
治療家はお客様が楽になるようにと一生懸命に施術をするのですが、お客様が背負っていた邪気をもらってしまいます。
邪気とは、その人のネガティブな感情のエネルギーだったり、またはその人に憑いている霊的エネルギーだったりします。
そのような邪気を毎日浴びるように受けていては、治療家の身体は徐々に蝕まれるようにしてやられていきます。
 
実際に治療家であってもそのようなエネルギーの伝染があることを自覚できる人は一部だけです。
だから、知らず知らずの内にやられてしまうのです。
人の癒しにたずさわる人で邪気がわからない人は気を付けた方が良いと思います。
邪気がわかる人に定期的にメンテナンスをしてもらわないと危険です。
 
「医者の不養生」という言葉がありますが、我が身を省みず人の病気ばかりみていてそれが多忙すぎて身体を壊してしまうという意味だけではなく、患者さんの悪いものを身代わりにもらってしまって身体を壊してしまうということもいっているのだと思います。
 
かくいう私も邪気についてよくわかっているつもりでしたが、まだまだでした。
 
日々自身を浄化していましたが、身体も心もボロボロになってしまっていて、とうとう2009年の7月には「もうそろそろ限界だ」と毎日のように思っていました。
くたくたになった自分の姿を鏡で見ると生気がなくまるで70才を過ぎた老人のようでした。(気功師がこれではいけません)
田舎の母はたまに会うと「元気がない」と度々口にしていました。
「おそらくあと3年ももたないだろう」と自然に自覚ができて、残されたもののことを頻繁に考えていました。
 
邪気を受けていると身体だけではなく、感情もどんどん落ち込んでボロボロになります。
まるで地獄の底で悪鬼たちに孤軍奮闘しているようなそんな心境です。
お客様の様々なネガティブな思い、怒りや恐怖や悲しみ、恨みなど、そのような邪念を日々自分のオーラに蓄積していくのです。
または、成仏できず現世に執着を残している霊達が我が身にとり憑いてきてその苦しみが伝わってくるのです。
身体の中まで入ってくる邪気は大変です。
映画「もののけ姫」(宮崎駿監督)のアシタカはたたり神に掛けられた呪いが腕に巻きついていましたが、そのような感覚で執念深いものがあります。
 
それでは人を助けるどころか、助けようとしていても実際は自分が一番助けてほしいという気持ちになります。
もっとも、私は生への執着が薄いため時期が来れば逝くだけだと思っていますから、それ程あがくようなことはしていませんでした。
 
戦場で切って切って切りまくって、矢が尽き、刀が折れて力尽き死ぬ・・・そんな心境で日々施術にあけ狂っていたのを思い出します。
 
もうそろそろ限界だと思っていた頃、ある人との出会いがあって偶然にも私はパワーを従来よりも上げることができました。
その結果、施術効果だけではなく、ネガティブなものへの耐性を大幅に上げることができました。
 
捨てる神あれば拾う神あり、とはまさにこのことです。
その方との出会いは偶然だったようで、背後の諸霊の様々な思惑があったようにも思えます。
 
おかげさまで今では以前程邪気に苦しむことはなくなりました。
あらためて命を頂いた感じがします。
3年とは言わず、10年以上は楽に生きていけそうに思います。
もう少し人のお役にたてということなのでしょうか。
 
それでも力が上がったら上がったなりに以前には来なかったようなより強力なネガティブなエネルギーを持ったお客様がお見えになります。
 
時々はやはり苦しむことがありますが、ボロボロになるというところまで落ちはしません。
自分自身の浄化、施術院の浄化もより強力にスピーディーにできるようになりました。
これは本当にありがたいことだと思います。
 
ビジネス・スポーツ・勉学など諸事につき、これでもう限界だと思うところで耐え抜くとレベルアップするのは本当にあることで、今渦中にある人は飛躍前の「ため」にあるのかもしれません。
 
【2010年2月11日】

ありがとうございます

気功治療日誌「憤死」を掲載してから、幾人かのお客様より「自分の身体を大切にしてください。」という温かいお言葉を賜りました。
(メールいただいたIさん、すみません、メールを返信したのですがうまく受信して貰えずこちらのメールが届かなかったようです。)
 
自分が病気で苦しんでいるにも関わらず、施術を受けることでご自身の邪気が術者の私に行ってしまうことを心配し、施術を受けることに気兼ねしてしまった方もいらっしゃいました。
 
ご心配をおかけし、申し訳ございません。
また、温かいお気持ちをいただきありがとうございます。
 
私は確かに受け手のお客様の邪気を一時は受けることもありますが、自身の浄化はだいぶうまくなりました。
たまには重い方からダメージを受けることがありますが、まずたいていは問題ございません。
 
 
昨年の4月、自転車(ロードバイク)通勤していたのですが、朝の通勤途中で派手に転倒、顔面をコンクリートに強打し、あざと流血でひどい顔になってしまったことがありました。(鼻を骨折していたようです・・・病院には行かず治しましたが・・・)
それでも、その日は予約が一杯で休むわけにはいかず、血だらけのひどい顔をさらしながら施術をこなしたものです。
 
帰り際、いつもは私がお客様に「お大事に」と声をかけていますが、その日はすべてのお客様から同じように「お大事に」とか「早く良くなって下さい。」と言われ、感激したことを思い出しました。
 
日々、こうして施術にあたらせていただいている中で思うことは、当院に来られるお客様は自分が苦しんでおられるにも関わらず人の身を心配できる素晴らしい方が多いということです。
 
特に難病を患っている方の中には、偉大な精神をお持ちの人がいます。
自分の身体が不自由で食べることも排泄もヘルパーさんや家族の助けを借りないと何もできない状況であっても自分のことよりも周りの人を優先し、思いやることができる人がいます。
 
もし、自分がその方の立場だったら進行する病気を受け入れられず、きっとひねくれて自暴自棄になってしまうに違いありません。
 
きっと病気を受け入れるまでには人には言えない相当の葛藤があったと思うのですが、それを受け入れるという選択をすることで、魂の「格」が上がるのでしょう。
 
そのような方に接し思うことは、病気は確かに不幸な一面もあるけれど、それによって魂が磨かれる一面もあるということです。
特に難病はともすると生前に自らを鍛えるために計画してきたことなのかもしれません。
 
もしそれが自ら計画したものだとすると(私はその可能性が高いと思うのですが)、そのような方の前にはひたすら頭が下がる思いがします。
 
私は、お客様を「治してあげている」のではなく、お客様が治るためにほんのちょっと「後押しをさせていただいている」だけであって、お客様に「お話をして導いている」のではなく、逆に「教えられている」のだと思います。
 
よく教師は生徒によって教えられるといいますが、これは施術家も同じです。
 
また、「施術者には自分に見合う患者が来る」という法則がありますが、もしそうであれば私にはもったいない位のお客様だと思います。
 
これからも自分自身を大切にし、皆様の施術を少しでも長くできるよう努めて参りたい、皆様がお困りの際にいつでもそばにいられる存在でありたいと思う次第です。
 
皆様もどうぞご自愛下さい、皆様の幸せが皆様の周りの人の幸せにつながるのです。
 
【2010年4月11日】

気功療法は身代わり行

スケジュールからみて今年最後の日誌寄稿になると思います。
本年も当院をご利用頂いた皆様、またはホームページをお訪ね下さった皆様、本当にありがとうございました。
忙しさを言い訳に更新がままならず、ご期待に添えなかったと反省しております。
 
今年1年を振り返ってみると自分自身のエネルギーが随分変わったと自覚しています。
これまで対応できなかった症状にも対応できるようになったり、または以前より短期間で施術効果が出るようになったと思います。
自分自身、生涯修行だと思っておりますのでこれに慢心することはありませんが、以前より皆様のお役に立てるようになったということを少しは嬉しく思っております。
 
エネルギーのレベルが上がってくるとこれまで分からなかったこと、自覚できなかったことが分かるようになります。
これはお客様と向き合ってその人の状態が分かったり、病気の原因箇所や症状の重さが分かったりと、エネルギーという形で様々な情報が入ってきて、それを活用することができるようになります。
 
施術をしているとお客様の邪気(ネガティヴィティ、ネガティブなエネルギー)を自分自身が受けていることは前からわかっていましたが、益々このことを実感するようになりました。
特に重い症状の場合程、施術をすることでお客様のネガティヴィティを受けることになります。
 
施術が下手だからネガティヴィティを受けるのだろう、レベルが低いからネガティヴィティを受けるのだろうと思っていましたが、私が知りうる世界的に最高レベルのヒーラーもこのことをよく自覚していました。
 
気(エネルギー)による病の癒しは病気の原因となっているネガティブなエネルギーを除去・浄化するために症状が改善していくものなのですが、その除去・浄化したものの一部は施術者にその影響が及びます。
しかし、多くの施術者は受けている自覚がありません。
自分のエネルギーはレベルが高いから、そうなることはないと考えている人もいます。
私も以前は自分の気(エネルギー)は邪気の影響を受けないのだと考えていました。
今私は例外なく施術家・気功治療家・ヒーラーは受け手の邪気をうけていると考えています。
 
そのため、ネガティブなエネルギーは施術者・ヒーラーの気(エネルギー)に徐々に影響を及ぼし、施術者は感情的に不安定・ネガティブになったり、肉体の病気に侵されたりします。
世の治療家が短命なのはそのためです。
 
私は初回のお客様にはこれまでの治療歴を伺っていますが、時々「前に通っていた先生が亡くなったので・・・(または体調を崩されたので)」という理由が出てきます。
また別の機会に人から凄い治療家がいるという話を聞いて、「今どうしてますか?」と尋ねると、「その人50才で死んだよ。」という話もありました。
 
気功治療家やヒーラーは特に相手のネガティブなエネルギーを受けやすいものですが、その職種だけではなく、医師、看護師やカウンセラー、整体師など体や心の不調に悩む人に関わる人は全て同じく相手のネガティブなエネルギーを受けていることを知らなければなりません。
 
がん治療をしている医師はがんになりやすいという話を聞いたことがありますが、それもエネルギー的には納得のいく話です。
また、上記の職種の方で仕事が終わるとドッと疲れるというような自覚の人は多いと思いますが、それは相手のネガティヴィティを受けているからなのです。
 
そのために自己浄化は欠かすことはできません。
風呂に1週間入らないととても気持ち悪いと思いますが、私にとって自己浄化をしないことは同じようなことなのです。
またネガティブな影響を受けやすくもなってしまうので危険です。
自己浄化を怠ったがためにとんでもないことが起こったこともありますが、それをご紹介しましょう。
 
 
私はこの夏右足が壊死してしまう病気の方の施術をしていました。
これは足先から血行不良になり、段々と足の太もも・付け根に向かって真っ黒になっていく病気です。
そのお客様はとてもネガティブなエネルギーが強く、私は施術をするとそのお客様の邪気を大分受けているというのを自覚していました。
そのお客様の施術の時だけ自分の身体中をむかでが這いまわるような感覚があったのです。
正直とても気持ち悪く、施術後は自分自身の浄化を欠かせませんでした。
 
8月中旬のある日の夕方、その方の施術を終え、用事があったのでバイクに乗る機会がありました。
その時私はとても急いでいたので自己浄化を怠っていました。
 
バイクに乗って間もなくのこと、私はスピードが出すぎてバランスを崩し交差点で転倒してしまいました。
右膝から着地してコンクリートに右膝を「グシャ」「ガッ」と引きずったのです。
凄い音がして「しまった!やってしまった!」と思いました。
幸い、自分で勝手に転倒しただけで人をはねたり自分が車にはねられたりすることなく、大事には至りませんでしたが、膝の骨を割ってしまったのは瞬間分かりました。
 
「う~む」と唇を噛み締め痛みと衝撃にしばらく動けなかったのですが、痛む足を引きずってバイクを移動させました。
不思議なもので、大怪我をするとその直後は意識が身体から少し離れるような、肉体を自分自身と一体視していないような感覚があり、「借りてきた器〔肉体〕を壊してしまった」という感じで人の身体を見ているように思いました。
 
膝以外にも怪我はありましたが、大きな怪我は膝の皿を割ってしまったこと、脛(すね)にひびが入ってしまったことの2つでした。(脛も骨折かもしれません)
脛も「こぶしかよっ」という感じで見事に腫れていました。
 
事故後の強い痛みは数日続きましたが、驚いたのは内出血した血が足先に降りてきて足首から先がドス黒くなってきたことでした。
私が施術をしていた人と病名こそ違いましたが、同じような状態になってしまったのです。
これはヤバイと痛感しました。
 
結局1ヶ月位は足先に血が溜まっていました。
最初は黒々としていましたが、段々と紫色になり、今ではすっかり元の状態になりました。
1ヶ月間ほとんど当院で扱っている「波動シート」を貼っていました。
これなしには現在の状態にはならなかったと、我ながら凄いものだと「波動シート」に感謝している次第です。
 
お客様の邪気を受け、事故を通して私の身体にお客様の状態が再現されたのは驚くべきことです。
このことは珍しい事例ですが、要は大なり小なり施術家・ヒーラーはお客様の身代わりになっているのです。
 
私は病院に行っても、それでレントゲン被爆するだけで治るわけではないと考えていますので病院にも行かず自己治療で終わらせてしまいました。
骨折しても病院に行かない頑固な施術家はあまりいないのではないかと思います(笑)。
まさか、松葉杖をついて「いらっしゃいませ・・・」とお客様を出迎えるわけにはいきません。
足が曲がらず、足を引きずっていましたので施術には苦労しましたが、足を折っていたことはほとんどに方に気付かれなかったのではないかと思います。
 
私は自己浄化がうまくなかった頃、邪気が蓄積されていたためにあと3年は生きられないだろうと考えていた頃がありました。
前に気功治療日誌で書いた覚えがあります。
 
今は以前より大分うまくなりましたが、でもどうしても自分に及ぶものはあると感じています。
気功治療やヒーリングは結局身代わり行です。
人の苦しみを自分に受けて相手を楽にしてあげる愛の行に他なりません。
 
日々色々な方を施術して多くの方が「楽になった~」と喜んでくれるのを見るにつれ、私が生きているエネルギーの源泉はそこにあるのだと感じます。
私はやはりお客様を助けているようで、本当はお客様に生かされていたのです。
お客様だけではなく、家族や周りの方々のお陰で今があります。
 
身代わり行と言いましたが、だから私は偉いのだと上段から物を言っているつもりはありません。
人を助けているようで、私も助けられているからです。
 
人との交流とはこのようなものであって、気功治療をしている私だけではなくこれを読んで下さっている皆様も形は違っても、同じことなのでしょう。
助け助けられて今があるのです。
 
こうして年の瀬を迎えることができることに静かに感謝したいと思います。
 
2010年12月28日】
 

店舗移転の本当の理由

新しい店舗に移転をして1か月余りが経ちました。
思えばこの半年間物件探しや引っ越しの準備・サロン開設のための準備でかなり慌ただしく過ごしていたことに気付きます。
日曜日も特に遊びに行ったりすることもなく、家でできる仕事をしてきて余り休んできていなかったと改めて思いました。
気付けばもう2011年も折り返し時期になります。
 
今回の移転の目的は「ヒーリングクァンイン さいたまオフィス」を開業することが目的の1つでした。
しかし、より深いところでの目的は「目立たないようにする」ことなのでした。
 
目立たないようにすると言っても別に何か悪いことをしているわけでも、してしまったわけでもありません。
これは瞑想中に啓示を受けたもので、「えっ、なぜ?」と思いました。
 
一度来院頂いた方はご存知でしょうが、前の北浦和の店舗は駅から1~2分の好立地で国道17号沿い、交差点角にあり、安い家賃ではこれ以上にない立地でした。
それと比べれば現在の店舗は浦和駅から近いとはいえ、まったく目立たないマンションの1室であり、外からの看板も何一つありません。
毎日マンションの前を通っている人でさえ気付かないでしょう。
 
マーケティングのセオリーの完全に逆をいくものであり、100人の事業家がいたら99%は私のような行動はとらないのではないでしょうか。
 
正直私もやっていけるのだろうかと不安はありましたが、開業して1か月半、よくもこんなマンションの1室にたくさんのお客様が来るものと思います。
本当にありがたいことだと思います。
 
思えばヒーラーや気功師、または占い師でも本当に実力のある方はすごく目立たないようにしている人が多いのです。
電話帳にすら出ていない人もいます。(私の場合、電話帳広告は止めてしまいました)
理由はよくわかりませんが、実力のある人程目立たないようにやっていると私は思います。
人づてに噂を聞いて、あそこにそんな力のある人がいるのかと知ることも度々ありますが、普通の人にとって余程ご縁がない限りは知りえる機会はありません。
 
私が知っているかなり力のあるヒーラーさん何人かもここ2年位で田舎のエネルギーが良い所に引っ越しをしたり、看板を外してしまったり、「雲隠れ」しています。
何かそのような流れになっているのでしょうか。
 
気功師・ヒーラーなど高次元のチャンネルを持つ者は自己顕示欲が強いようでは良いエネルギー(気)は出ないのです。
それはエゴの強さを表すものだからと思います。
 
私は今では完全に神の意思を表すための手足として働いている意識で日々仕事にあたっています。
勤めていたときは人間の上司がいましたが(当たり前か)、今の上司(?)は背後の神霊だと思っています。
 
・私利私欲をなくし人のために奉仕する
・人の道に外れることなく誠心誠意最大の力で仕事に従事する
・仕事は自分を高めていくための行である
 
このような意識で仕事にあたることが神霊のご意思にかなうと信じています。
私のような職種でなくても、どのような仕事であれ「自分の仕事は神への奉仕だ」という意識をもって周りの人やお客様を幸せにしていくよう務めていくとうまくまわっていくはずです。
 
今回目立たないようにやっていくという啓示が、自分の実力を少しは認めてもらったことであればよいなと思っている次第です。
 
 
 
2011年6月17日】

手の痺れ

手の痺れの原因で多いパターンは頚椎から胸椎にかけて邪気がたまることで痺れが手に生じてきます。
当院では骨格を直接操作することはありません。
頸部から肩、胸椎のあたりに優しく触れて気を送っていきます。
または痺れのある部位に直接気をお送りします。
ほとんどの場合はこれで解消します。(外傷が原因のもの以外)
 
「右手に麻酔がかかっているようだ」というお客様が来院した時のことです。
上記の方法でなかなか痺れが軽減しないことがありました。
腰部を見ていくと、腰椎4番~仙骨にかけて気になるところがあり、軽く触れて気を送っていきました。
すると、焚き火をしているような焦げ臭い匂いがしてきました。
それは私と同時にお客様も感じられていました。
邪気の排出は時として臭いを伴います。
焦げ臭い場合もあり、「これで取れたかな」と思ったその直後お客様が「先生、痺れがなくなりました!」と声をあげました。
 
「痺れの原因の邪気が腰に潜んでいたのですね。」と説明をし、お客様も「何だったんでしょう、あの臭いは?」と首をかしげていました。
 

【2011年10月5日】

ご愛読いただきありがとうございます。
また、どうぞお訪ねください。

 

このページへのコメント

4月末に施術していただきました。
こんにちは!
4月末に施術していただき、またその時購入した水晶のブレスレットも人と交わるときには必ず身に着けています。
初めての気功体験で、どんなものなのか・・・とても緊張していたかもしれません。でも、お部屋を開けた時のなんとも言えない心地よい香りと、先生とお話していくうちに、どんどんリラックスしていった気持ちは今も覚えていま
す。
久しぶりにHPを拝見しました。「こころの処方箋」を読ませていただき、納得~!です。本当にすばらしいことが書いてありますね。紹介されていた本も読んでみようと思います。
気功教室を開かれるときは、ぜひ連絡してください。
Posted by 北原智子  2010/06/14 14:40:35

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