人が人として生を受け人生を生きていく過程は、見方によれば受け入れられないものを耐え忍んでいく連続なのかもしれません。
容易に受け入れがたいものに対してこうすればよいという簡単な処方箋などあろうはずがないのですが、それでも耐え難い人生を歯を食いしばり前進しようとしている人の荷物を少しでも軽くできるならと、このテーマについて書いてみようと思います。
しかし、私のような若輩者が古今東西の哲人達が取り組んだテーマに何かをできるものではないので、ここでは一編の詩の力を借りてみます。
大事をなそうとして力を与えて欲しいと願ったのに、
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
よりよきことができるようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧しさを授かった
世の人々の賞賛を得ようとして権力をもとめたのに
謙遜であるようにと弱さを授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは、すべて聞き届けられた
もっとも小さき者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ
人は、さまざまなものを願い求める
ここに紹介したのは「祈りの言葉」(青山圭秀・幻冬舎)に掲載されている詩です。
作者は不明です。
一説には、ニューヨーク大学リハビリセンターの壁に一人の患者が書き残したという説や、南北戦争時の南軍の兵士の言葉であるという説とされています。
出典の「祈りの言葉」は青山圭秀氏の著書で、洋の東西の色々な言葉を集めたもので、とても美しい本として仕上がっています。
私は何度も読ませてもらっていますが、氏の文調はまるで静かな湖面のごとく穏やかで、深く、美しく、読む度に心が洗われるような思いになり、自身が垢まみれになってしまっていたことに気付かされます。
興味がある方は読んでみることをお勧めします。
さて、受け入れがたいものが出てくる前提には、人はそれぞれ願いというものを持ち、その実現を望むということがあります。
人は大きなものから些細なものまで色々な願いを持ちつつ、日々の暮らしに奔走しています。
しかし、その願いの多くは叶えられることなく、いつの間にか自分自身に妥協をし、「こんなもんだ」という心の妥協点を作り出してしまいます。
叶う願い、叶わない願いの違いとは一体何でしょうか?
果たして私たちは願うものが全て叶うことが、自身によって良いことなのでしょうか?
その答えはありませんが、叶うもの、叶わないものをひっくるめて、私は人生にはすべて必要なことがベストのタイミングで起こっているものと考えるのが良いと思うのです。
なぜなら「私」は人生のクリエイターであり、計画者であるからです。
この受け入れ難い人生を計画してきたのは、神でも他でもなく、「私」以外にはいないのです。
そういうと、「私はこのような惨めったらしい人生を計画してきた覚えはないぞ」と思う人もいることでしょう。
確かにそうです、では、人生の計画者・クリエイターである「私」にしてなぜ願いが叶わないのか?
その答えは「私」という言葉にあると考えます。
「私」とは何でしょうか?
「私」とは鏡をみて映る自分自身の姿、これがほとんどすべての人が思う「私」なのですが、実はそれだけではなくもっと見えない背後の意識もひっくるめて「私」と考えるのが適当なのです。
ハイアーセルフという自己があります。
これは私たちが数々の輪廻転生を繰り返して経験した無数の記憶がプールされている上級の自己で、普段私たちはこれを意識することはありません。
幾つも経験してきた過去生は確かに存在すると思いますが、その記憶は封印されたまま私たちは今の人生を過ごしています、その方が魂の成長には都合が良いからです。
私たちは計画の下に魂の成長を目指す意識なのですが、その計画では小さな「私」(=目視できる「私」)だけではなく、より大きな「私」(=ハイアーセルフ)も同じく成長を志向しており、小さな「私」にとってよいことが、大きな「私」にとって必ずしも良いことではないということが言えるのではないかと思います。
すべて起こっていることは魂の成長を果たすために必要なことが起こってきており、私たちはそれに奮闘努力し、一つ一つ乗り越えていくことが望ましい生き方なのでしょう。
これを理解したところでもう一度先述の詩をよんでみて下さい。
いかがでしょうか?
私たちが望むことが叶うことだけがベストなことではない・・・と心にそんな思いが湧き起こって来るのではないでしょうか。
また、社会的な成功が果たしてどこまで価値があるものなのかという疑念が出てくると同時に、私たちはささやかな生活を懸命に生きていくことに価値があるのではないかと思えるのではないでしょうか。
【2010年4月29日】